年表で見る藤井寺市のあゆみ

 現在の藤井寺市に含まれる区域が一つの行政区(自治体)になったのは、1959年(昭和34年)のことでした。それまで
は、長い間、別々の町や村でした。年表では、藤井寺市となったそれらの地域の中で近代以降にあったできごとを取り
上げてあります。
行政・公共施設  教育・保育  鉄道・道路・橋  文化財・寺社  民営事業等  災害・その他の出来事  】
年・月 で   き   ご   と
   明治
1869(2). 2

        . 8
1870(3). 3
1871(4). 7
        .11
1872(5). 6
1873(6). 4
    . 6
    . 9
1874(7). 2
    . 9
    .11
1875(8). 3
    . 5
1879(12).10
1881(14). 2
1887(20). 4
1888(21). 3
        . 4
1889(22). 4
1890(23). 3
1893(26). 4
1896(29). 4
        . 5
1898(31)

        . 6
1907(40). 9
        .11
1908(41). 4
        . 2
1910(43). 7

道明寺村・北條村・船橋村・古室村・藤井寺村・野中村・岡村が河内県の所属とななった。
 大井村・国府村・林村は伯太藩領、沢田村は沼田藩領、志紀小山村・丹北小山村・津堂村は宇都宮藩領

河内県が堺県に併合された。
志紀小山村・丹北小山村・津堂村が藩領から堺県の管轄に入った。
大井村・国府村・林村が伯太県の、沢田村が沼田県の管轄に入った。
大井村・国府村・林村・沢田村が堺県の管轄に入り、14ヶ村のすべてが堺県の管轄となった。
道明寺境内にあった天満宮が、土師神社(後に道明寺天満宮)と改称して境内地の大部分を引き継いだ。
河内二四番小学(現道明寺小学校)が沢田村(極楽寺)で開校した。(後に沢田小学→沢田小学校)
河内二七番小学(現藤井寺小学校)が藤井寺村(剛琳寺(現葛井寺))で開校した。(後に小山小学に移転)
道明寺が土師神社と分離され、現在地に移転した。(明治元年に神仏分離令が公布されていた)
新大和橋(大和川 東高野街道)ができた。現藤井寺市域の中では、初めて大和川に架けられた橋。
二四番小学の支校が大井村に開校した。(後に大井支校)
二七番小学の支校が野中村に開校した。(後に野中尋常小学校)
二七番小学が小山小学となって丹北小山村に新築開校した。(後に小山小学校)
二四番小学が沢田小学となり、支校は大井支校となった。(後に沢田小学校)
沢田小学が現在地(道明寺小学校)に新築移転した。(開校式の10月21日が学校創立記念日となった)
堺県が廃止され、大阪府に併合された。
沢田小学校は沢田尋常小学校と沢田高等小学校に、小山小学校は小山尋常小学校と小山高等小学校に分離。
小山高等小学校が閉校となり、古市高等小学校(現羽曳野市立誉田中学校の前身)に併合された。
沢田高等小学校が閉校となり、古市高等小学校(現羽曳野市立誉田中学校の前身)に併合された。
14の村が合併して、長野村小山村道明寺村沢田村の4つの新しい村ができた。
道明寺村と沢田村が合併して、道明寺村となった。
野中支校が独立して野中尋常小学校が長野村(野中村が合併した)に開校した。(後に小山尋常小学校に統合)
沢田尋常小学校が道明寺尋常小学校に改称された。(この時 古市高等小学校が誉田高等小学校となった)
長野村が藤井寺村に名前が変わった。                        この前年に日清戦争が終わる
3月、柏原駅−古市駅間に初めて鉄道が開通道明寺駅が開業。4月に古市駅−富田林駅間も開通。
 (現在の近鉄道明寺線南大阪線の古市駅−富田林駅間 当時の鉄道会社は「河陽鉄道」後に「河南鉄道
」)
旧志紀郡道明寺村・小山村、旧丹南郡藤井寺村、旧丹北郡小山村・津堂村を含む南河内郡の郡制が施行された。
大山咋(おおやまぐい)神社志疑神社(10月)・國府八幡神社(12月)が黒田神社(道明寺村)に合祀された。
津堂八幡神社産土(うぶすな)神社(小山村)に合祀された。(前年明治39年8月に「神社合祀令」が出された)
小山尋常小学校と野中尋常小学校が合併して、小山尋常小学校本校と同校野中分教場となった。
野中神社・長野神社が辛國(からくに)神社合祀された。(長野神社以外は昭和時代の戦後に復社した)
小山郵便局(後に藤井寺郵便局に改称)ができた。(この区域に初めてできた郵便局で、現藤井寺小山郵便局)
   大正
1915(4).11
1916(5)
1917(6). 6

1922(11). 4
     .12
1923(12). 4
     .10
1924(13). 6

藤井寺村と小山村が合併して、藤井寺村となった。          この前年に第一次世界大戦が始まる(〜1918年)
大正橋(大和川 現府道旧2号)ができた。
京都帝国大学の浜田耕作氏による最初の国府遺跡の発掘調査が行われた。(縄文人骨などが出土)
初めて電灯線が引かれた。(道明寺・国府・沢田・林・古室地区 「金剛水力電氣(後関西配電)」)
大阪鉄道の道明寺駅−布忍駅間が開通し、藤井寺駅が開業した。(河南鉄道は大正8年3月に大阪鉄道に改称)
初めて電話の加入が始まった。(道明寺・国府・沢田・林・古室地区 局は古市局)
布忍駅−大阪天王寺駅(翌年6月から大阪阿部野橋駅)間が開通し、道明寺−大阪天王寺間が電化された。
道明寺−長野(現河内長野駅)間が電化された。                            9月に関東大震災発生
道明寺−柏原間が電化されて柏原南口駅が開業した。同時に、藤井寺駅と道明寺駅の間に土師ノ里駅
 御陵前駅(昭和8年から応神御陵前駅)ができた。
   昭和
1928(3). 5
    .10
    .10
    .10

1929(4). 5
1932(7). 4
1934(9). 9


1936(11). 2

    . 4

1938(13). 2

1941(16). 4

1944(19). 6
    . 9
    . 9
    .10
1945(20). 3
    . 6
1946(21). 7

1947(22). 4
    . 4

1948(23). 4
    . 7
1949(24). 4
    . 9
1950(25).
    . 9
    .11
1951(26). 1
    . 9
1952(27)


1953(28).12
1954(29). 6
    . 7
    . 9
1955(30). 3
    . 4
    . 4
1956(31)
    . 5

1957(32). 3
    . 6
    .10

1958(33).10
1959(34). 4
    . 4
1960(35). 1
    . 4

    . 4
    . 4

1961(36). 9
1962(37). 2
    . 2
    . 3
    . 8
1963(38). 2
    . 4
    . 4
    .10
1964(39). 3
    . 5
    .10
1965(40). 3
    . 6
    .10
1966(41).6
    .11
    .11
1967(42). 4
    . 6
    .11
1968(43). 1

    . 3
    . 4
    . 7
1969(44). 1

    . 3

    . 3
    .12
1970(45). 4
    . 4
    . 4
    . 4
    . 4
    . 4
    . 7

    .10
    .12
1971(46). 4
    . 8
    .11
    .11
    .11
1972(47). 2
    . 5
    .12
1973(48). 1
    . 2
    . 2
    . 4
    . 4
    . 4
    . 4

    . 7
    . 9
    . 9
    .10
    .11
    .11
    .12
1974(49). 1
    . 3
    . 4
    . 7
    .11
1975(50). 6
    . 9
1976(51). 3
    . 4
    . 4
    . 4
    . 7
    . 7
1977(52). 4
    . 5
    . 5
1978(53). 4
    . 4
    . 4
    . 9
    .12
1979(54).
    . 6
    . 8
1980(55). 4
    . 4
    . 4
    . 5
    . 7
    . 8
1981(56). 4
    . 5
    . 8
    . 9
1982(57). 3
    . 4
    . 8
    . 9
1983(58). 4
    . 5
    . 5
    . 9
1984(59). 4
    . 5
    . 9
    . 9
    . 9
1985(60). 4
    . 7
    .10
1986(61). 4
    . 4
    .11
1987(62). 4
    . 4
1988(63). 6

大阪鉄道の藤井寺球場ができた。大阪鉄道の「藤井寺経営地」計画の一環として造られた。
大阪鉄道・乗合自動車の藤井寺駅−出戸町線が開業した。(後の近鉄バス藤井寺駅−近鉄八尾駅線の元)
藤井寺村の人口が 5,000人を越え、藤井寺町となった。
小山尋常小学校が岡地区(現藤井寺小学校所在地)に移転し、藤井寺町立昭和尋常小学校となった。
大阪鉄道によって石川に玉手橋が架けられた。(明治41年に河南鉄道が開園した玉手山遊園地に行く通路)
大阪鉄道の「藤井寺教材園」が藤井寺球場南側に開業。(1933年に閉鎖 跡地は女子短大や春日丘団地に転用)
藤井寺町立昭和尋常小学校に昭和尋常高等小学校が併設された。(後に藤井寺尋常高等小学校)
21日室戸台風が大阪府を通過。最大風速60mを記録(大阪市)。道明寺小学校では校舎3棟に破損の被害。
 水田被害は藤井寺町約30ha、道明寺村約151ha。国府八幡神社本殿全壊、拝殿半壊。黒田神社の境内社1社が
 全壊、樹木113本に被害。土師神社(現道明寺天満宮)の樹木40本に被害。

二上山地下を震源とする直下型の亀瀬(かめのせ)地震(深さ20km マグニチュード6.4)が発生。南河内郡・中河
 内郡を中心に府内の広範囲で被害が発生した。(死者8名 家屋全半壊49戸 物損は各地で多発した)

昭和尋常高等小学校が藤井寺尋常高等小学校となり、同校内に藤井寺実践女学校が設置された。
新しい大井橋(大和川)ができた。(西へ移動した 後に大阪外環状線の新設で新大井橋に替わった)
産業道路(現・国道旧170号)と河内橋(大和川 国道旧170号)ができた。    前年の7月に日中戦争が始まる
府道・八尾羽曳野線(現・府道186号大阪羽曳野線)ができた。
小学校が、藤井寺国民学校道明寺国民学校と改称された。                12月に太平洋戦争が始まる
藤井寺学園相愛第二高等女学校が開校した。(翌昭和17年 藤井寺高等女学校に改称)
関西急行鉄道が南海鉄道(戦後分離)と合併、近畿日本鉄道ができた。(大阪鉄道は前年に関西急行鉄道と合併)
藤井寺町で学童集団疎開を受け入れた。(大阪市東田辺国民学校児童335名 12月にさらに40名)
道明寺村でも受け入れた。(大阪市平野西国民学校児童249名 極楽寺(沢田)誓願寺(大井)真光寺(道明寺))
府立藤井寺保健所(現藤井寺1丁目)ができた。
財団法人菊水学園・菊水中学校(旧制 後菊水高等学校)が藤井寺駅南(仏供田池一部埋め立て地)に開校。
応神御陵前駅が休止された。(事実上廃駅 昭和49年7月に正式に廃止)   8月に日中戦争・太平洋戦争が終わる
戦後初の第28回全国中等学校優勝野球大会(後の高等学校野球選手権大会)の大阪府予選が、54校が参加して
 藤井寺球場で開催された。この年の全国優勝校は、大阪府代表の浪華商業学校(後浪商高等学校)であった。

学制改革により、小学校の名称が藤井寺町立藤井寺小学校道明寺村立道明寺小学校となった。
中学校の新制度が発足し、藤井寺町立中学校が藤井寺小学校内に開校した。道明寺村の新中学生は村内
 に中学校がな
く、古市町外四ヵ村組合立誉田(こんだ)中学校に通学した(誉田高等小学校時代から通学していた)。
藤井寺高等女学校が藤井寺高等学校に改称した。(昭和27年に相愛第二高等学校に校名変更)
自治体警察の藤井寺町警察署道明寺村警察署ができた。(後に昭和30年の都道府県警察制度発足で廃止)
最初の公立幼稚園藤井寺幼稚園(藤井寺町)ができた。翌年4月には道明寺幼稚園(道明寺村)ができた。
藤井寺中学校の新校舎ができた。(現藤井寺西小学校の場所)
藤井寺町に公民館(岡地区)ができた。
3日ジェーン台風が大阪弯を通過。藤井寺町では全半壊16世帯。道明寺村では道明寺小学校6教室が被災。
道明寺村国民健康保険直営道明寺病院ができた。(後に道明寺町営となる 現市立藤井寺市民病院)
道明寺村の人口が 5,000人を越え、道明寺町となった。
藤井寺町営火葬場が小山地区(小山墓地)にできた。
新しい大正橋(大和川 現府道旧2号)ができた。
土師神社が「道明寺天満宮」に改称された。
学校法人菊水学園・菊水高等学校が廃校となった。(跡地は銀行などの商業用地に転用された)
道明寺水源地(現道明寺浄水場)ができ、道明寺町営水道が町内への一部給水を開始した。
藤井寺学園を谷岡学園が吸収合併し、相愛第二高等学校を大阪商業大学附属女子高等学校に改称した。
津堂駐在所ができた。(現・津堂交番)                昭和28年 サンフランシスコ講和条約により占領下から独立
藤井寺町営水道が給水を開始した。(大阪府営水道から受水して配水 後に道明寺水源地からも受水)
新しい石川橋(石川 現府道堺大和高田線)ができた。(府道堺大和高田線の新設に合わせた建設)
最初の公立保育所として町立藤井寺保育所(現市立第1保育所)が藤井寺町にできた。
大阪女子短期大学が開学し、大阪商業大学附属女子高等学校を大阪女子短期大学附属高等学校と改称。
都市ガスの使用が始まった。
藤井寺町営塵埃(じんあい)焼却場が津堂地区(大正橋南詰南側)にできた。(後美陵町津堂焼却場 後に廃止)
全国高校軟式野球選手権大会」の藤井寺球場での開催が始まった。(昭和55年第25回大会まで続く)
沢田駐在所ができた。(現・沢田交番)
小山駐在所ができた。(後・小山交通警察官詰所 2013年廃止)
藤井寺駅前派出所ができた。(現・藤井寺駅前交番)
日本住宅公団(現都市再生機構)・藤井寺団地の入居が始まった。(現サンヴァリエ藤井寺、さくら町)
府道・堺大和高田線(現・府道12号)の道明寺町の部分の供用が始まった。
藤井寺町と道明寺町が合併して、藤井寺道明寺町となった。現在の藤井寺市区域が初めて一つになった。
藤井寺町立藤井寺中学校が藤井寺道明寺町立中学校となり、旧道明寺町内の中学生も通学を開始した。
藤井寺道明寺町が、公募と市民投票を経て「美陵町(みささぎちょう)」に町名を変えた。
藤井寺南小学校が3番目の小学校として開校した。藤井寺小学校から分離。町立中学校が移転した後の校
 舎(現藤井寺西小学校の場所)で開校したが、藤井寺小学校と野中分校にも一部児童が分散通学した。

藤井寺南幼稚園が開園した。(藤井寺南小学校に併設 小学校と同じ校地内 昭和45年3月までこの場所)
美陵町立中学校(旧藤井寺道明寺町立中学校)の新校舎ができ、移転した。(現藤井寺中学校の場所)
日本住宅公団・春日丘団地の入居が始まった。(現サンヴァリエ春日丘、春日丘新町)
16日第二室戸台風が大阪府を通過。美陵町255世帯被災、南大阪線不通などの被害。美陵町に災害救助法適用。
土師の里交差点に町内初めての信号機が設置された。秋には小山交差点にも設置された。
阪南電報電話局が開局した。(当時は国営公社 藤井寺2丁目 現NTT藤井寺ビル)
藤ケ丘駐在所ができた。(後・藤ケ丘連絡所 2013年廃止)
町営プールができた。(25m 8コース 現藤井寺中学校)
美陵町し尿処理場(美陵浄苑)が小山地区(現市役所清掃課所在地)にできた。(後芝山衛生センターに移転・廃止)
府立河南工業高等学校が開校した。(昭和42年藤井寺工業高等学校 平成17年から藤井寺工科高等学校)
美陵町立第2保育所(現市立第2保育所 林3丁目)ができた。
柏原羽曳野美陵消防組合が発足し、柏原消防署に本部が置かれた。(後「柏原羽曳野藤井寺消防組合」)
宗教法人大阪カトリック大司教区が藤井寺カトリック幼稚園を創設した。(現学校法人大阪聖マリア学園)
柏原羽曳野美陵消防組合消防本部の新庁舎が土師ノ里駅近くにでき、業務開始。(現藤井寺分署) 10月に東京
藤井寺南小学校の新校舎の使用が始まった。(現在の場所 昭和41年3月に全面移転完了)  オリンピック開催
大井駐在所ができた。(現・大井交番)
美陵町の町章が公募作品の中から決定された。(現在の藤井寺市の市章)
町役場の新しい庁舎ができた。(旧市役所庁舎)
野中受水場ができた。(現・野中配水場U 藤ケ丘3丁目)
美陵町の人口が40,000人を越え、市制を施行して藤井寺市なった。(市名は町民への葉書アンケートで採用)
広報ふじいでら』第1号が発行された。
道明寺東小学校が4番目の小学校として開校した。(道明寺小学校から分離 国府2丁目)
船橋浄水場ができた。(船橋町)
藤井寺郵便局(現在の藤井寺本局)が開局した。それまでの藤井寺郵便局は藤井寺小山郵便局に改称。
市内住所の第1次住居表示制度が実施された。(野中・藤ケ丘・藤井寺公団・藤井寺・春日丘・春日丘公団
 の各地区、南岡・小山・古室地区の一部 以後第6次まで順次実施された)

藤井寺市国保道明寺病院が一般公立病院となり藤井寺市立道明寺病院に改称された。(現藤井寺市民病院)
道明寺東幼稚園が開園した。(道明寺東小学校に併設 小学校に隣接)
郵便番号制度が実施され、藤井寺郵便局管内(藤井寺市・羽曳野市・太子町)で583の使用が始まった。
第2次住居表示制度が実施された。(南岡・北岡・恵美坂・小山・丹北小山・新小山・小山住宅・藤の里の
 各地区、大井・林・沢田地区の一部)

藤井寺インターチェンジができ、初めて南河内地域を通る高速道路として、一般有料道路・西名阪道路
 (現西名阪自動車道)が開通した。
藤井寺幼稚園の新園舎が完成し、移転した。(現在地)
大阪外環状線の沢田交差点以北が開通した(現在の国道170号)。新大井橋も開通した。
藤井寺西小学校が5番目の小学校として開校した。(藤井寺南小学校から分離)
道明寺中学校が2番目の中学校として開校した。(藤井寺中学校から分離)   3〜9月大阪で日本万国博覧会開催
藤井寺西幼稚園が開園した。(藤井寺西小学校に併設 小学校内に仮設)
藤井寺南幼稚園が藤井寺南小学校内に移転した。(翌昭和46年11月に新園舎が小学校前に完成し移転)
藤井寺市が加入して、柏原市羽曳野市藤井寺市清掃施設組合(現柏羽藤環境事業組合)が発足した。
藤井寺市の人口が50,000人を越えた。(50,516人)
第3次住居表示制度が実施された。(大井川北・大井・美陵住宅・北條・船橋・梅が園・惣社・国府・林東
 ・林西・沢田・古室・道明寺南住宅・道明寺・土師の里・津堂の各地区)

社会福祉法人南大阪福祉協会のひかり保育園(大井5丁目)が創設、12月開園。(2018年4月より「ひかりこども園」)
藤井寺西幼稚園の新園舎が完成し、移転した。(現在地〈鉢塚古墳周濠跡地〉 それまでは小学校内に仮設)
市立第3保育所(藤井寺1丁目)・市立第4保育所(道明寺6丁目)ができた。
藤井寺市柏原市学校給食組合の給食センターができ、10月1日から両市の全小学校で給食が始まった。
市の木「梅」、市の花「菊」が制定された。
市内初の大型スーパー「ニチイ」が開店した。(岡1丁目 後に「サティ」 その後閉店撤退)
藤井寺南幼稚園の園舎が完成し、移転した。(現在地 それまでは藤井寺南小学校内に仮設)
広報ふじいでら』がこの月から毎月発行になった。
6月にかけて市内数か所で光化学スモッグ特別調査を実施。(前年9月に市内小学校で児童多数が症状を訴え)
土師の里交差点で市内初のスクランブル方式が始まった。後に藤井寺駅西交差点でも開始。
市民総合会館分館(土師の里支所)ができた。(沢田3丁目 土師の里交差点横)
市役所−支所間連絡バスの運行が始まった。(1日8往復便 後現在の公共施設循環バスに替わった)
近鉄球団の藤井寺球場ナイター実施計画が報道され、以後約10年間続くナイター問題が始まった。
道明寺南小学校が6番目の小学校として開校した。(道明寺小学校道明寺東小学校から分離)
道明寺南幼稚園が開園した。(道明寺南小学校に併設 小学校に隣接)
西名阪道路が、「西名阪自動車道」として高速自動車国道に昇格編入された。
藤井寺市と近畿日本鉄道の間で、球場改修工事等に関する確認書・協定書が調印された。これによって、
 藤井寺球場のナイター化改修工事、藤井寺駅の移動
橋上駅化工事、駅北広場新設工事などの計画が開始。
藤井寺南小学校と道明寺東小学校で、市内で初の学童保育「留守家庭児童会」が開設された。(現放課後児童会)
市内の各小学校にVTRと全教室のテレビ放送システムが設置された。(ソニー・校内親子放送システム)
青少年運動広場が大井地区にできた。(大井1丁目 後の市民総合体育館・プール用地)
第4次住居表示制度が実施された。(沢田・古室地区の残り)
市民総合会館本館ができた。(現 愛称「パープルホール」北岡1丁目)   10月に第一次石油ショックが始まる
市民憲章」と「市歌」が制定された。
ダイヤモンドシティ・ジャスコ藤井寺店」が開店した(岡2丁目)。(後「イオンモール藤井寺」2014.2.28閉店)
藤井寺駅南の佛供田(ぶくんだ)池跡地に「ちびっこ広場」ができた。(現「ブクンダ公園」)
野中浄水場が完成した。(6月より通水開始 現・野中配水場T 藤ケ丘4丁目)
府立藤井寺高等学校が開校した。(津堂3丁目)
市立第5保育所ができた。(国府1丁目)
近鉄藤井寺駅の橋上式新駅舎が完成した。(旧駅舎より約50mほど西へ移設された)
藤井寺駅北駅前広場(駅前ロータリー)ができ、都市計画道路の藤井寺駅北線も開通した。
第5次住居表示制度が実施された。(東藤井寺町・藤井寺・春日丘・藤ヶ丘・西古室・小山地区の一部)
1級河川落堀川の改修工事が完了した。
藤井寺北小学校が7番目の小学校として開校した。(藤井寺小学校から分離 小山3丁目)
藤井寺北幼稚園が開園した。(藤井寺北小学校に併設 小学校に隣接)
市民総合体育館市民水泳プールができた。(大井1丁目)
藤井寺市の人口が60,000人を越えた。(60,138人)
清掃事業所ができた。(後の環境事業所 現清掃課所在地 小山7丁目・美陵浄苑跡地)
市立第6保育所ができた。(小山1丁目)
市立老人福祉センター松水苑ができた。(国府2丁目)
大阪ガスの天然ガスへの転換が行われた。
各中学校に語学学習システムのLL教室が設置された。
三ツ塚古墳の周濠調査で、古代の木ぞり修羅(しゅら)が発見された。
藤井寺小学校に学童保育「留守家庭児童会」が開設された。(現放課後児童会)
石川河川敷で、復元修羅の牽引実験が行われた。(朝日新聞・朝日放送主催)
市立休日急病診療所ができた。(現藤井寺市商工会館の建物 岡1丁目)    
12月に第二次石油ショックが始まる
大阪外環状線が富田林市まで開通した。
27〜29日の集中豪雨で、藤井寺市内でも1,124世帯で床上床下浸水、田畑の冠水250haなどの被害が出た。
朝日新聞社から寄贈された復元修羅の展示が道明寺天満宮境内で始まった。
第三中学校が3番目の中学校として開校した。(藤井寺中学校道明寺中学校から分離 林1丁目)
府立藤井寺養護学校が開校した。(翌昭和56年4月から川北で新校舎の使用開始 現藤井寺支援学校)
大阪外環状線の未開通区間、応神陵前−軽里北間が開通した。
大和川河川敷運動広場ができた。(船橋町 野球場1面・テニスコート4面・自由広場2面)
第6次住居表示制度が実施された。(青山地区)
第1回市民まつりが開催された。(会場は駅北ロータリー横駅前駐車場 現ソリヤ敷地)
市立第7保育所ができた。(藤ケ丘4丁目 2010年4月民営移管して「なな保育園(現ななこども園)」となる)
市立スポーツセンターができた。(林1丁目 第三中学校東側)
市立図書館(それまでは市民総合会館内)ができた。(林1丁目 第三中学校東側)
第1回市民総合体育大会が開催された。
1級河川大水川(おおずいがわ)の改修工事が完了した。
大阪外環状線が一般国道170(高槻−泉佐野)に制定施行された。
台風10号の集中豪雨で、市内でも477世帯に床上床下浸水、田畑の冠水31ha、道路の冠水37か所の被害が出た。
道明寺小学校と藤井寺北小学校に学童保育「留守家庭児童会」が開設された。(現放課後児童会)
市営藤井寺駅前駐車場(現藤井寺市立藤井寺駅南駐輪・駐車場)がブクンダ池跡地の一部にできた。
市民総合会館別館が本館の隣りにできた。(岡1丁目)
大和川河川敷西運動広場ができた。(小山7丁目 テニスコート・ゲートボール場・150mトラック各2面)
道明寺南小学校と藤井寺西小学校に学童保育「留守家庭児童会」が開設された。(現放課後児童会)
藤井寺球場の近鉄バファローズ公式戦で、ナイター試合が始まった。(4月6日 対西武戦)
市民野球場野外活動広場(津堂3丁目)ができた。
藤井寺市民音頭」が制定された。(9月23日 第5回市民まつりで発表された)
生活プラザができた。(岡2丁目 駅北ロータリー北側 2013年廃止)
奈良県山添村との友好都市交流提携が始まった。
大水川散策公園「翠花堤苑」ができた。
藤井寺郵便局の新局舎が完成した。(同じ場所で全面改築された)
第1回市民運動会が開催された。
大水川散策公園「彩花堤苑」ができた。
市立保健センターができ休日急病診療所もここに移転した。(小山9丁目)
藤井寺市公共下水道の市内で最初の供用が始まった。(大井地区)
市立道明寺病院が増改築工事を終えて、「市立藤井寺市民病院」となった。
社会福祉法人神愛福祉会のラミー保育園が開園した。(小山9丁目)
小山雨水ポンプ場ができた。(6月4日通水式 前日の3日に大雨洪水警報が発令され、初のポンプ運転実施)
   平成
1992(4). 4
1994(6). 7
     . 8
     .11
     .12

1995(7). 4
1996(8)
1997(9). 9
     .10
1999(11). 3
     . 4
     .10
2003(15). 4
2005(17). 1
     . 6
2009(21). 4
2010(22). 4
     .11
2011(23). 4
2014(26). 2
        4
2016(28). 4
2017(29). 4


2018(30). 3

大阪女子短期大学附属高等学校が大阪女子短期大学高等学校と改称された。
市立生涯学習センターアイセル・シュラホールができた。(藤井寺3丁目 新池埋立地)
大阪外環状線(国道170号)が泉佐野市まで全通した。                  9月に関西国際空港が開港
中国黄山市との友好都市交流提携が始まった。
柏原羽曳野藤井寺消防組合消防本部の新庁舎ができて、前の本部は分署となった。(青山3丁目)
公共施設循環バスの運行が始まった。
市役所の新しい庁舎がができた。(岡1丁目 旧庁舎跡)               1月に阪神淡路大震災発生
大和川下流東部流域・大井処理場が下水処理事業を開始。(現在の大井水みらいセンター)
野中跨道橋(国道170号・府道31号堺羽曳野線)が、藤井寺市内で初めての跨道橋として完成した。
第52回国民体育大会なみはや国体」が大阪府で開催され、藤井寺市は剣道競技(少年男女)の会場となった。
北條雨水ポンプ場ができた。(北條町)
史跡津堂城山古墳に、ガイダンス棟「まほらしろやま」ができた。(小山6丁目)
7日、大阪近鉄バファローズ1軍公式戦の藤井寺球場での最後の試合が行われた。以後は大阪ドームへ。
社会福祉法人そうび会の惣社保育園が開園した。(惣社1丁目)       2002年度から学校完全週5日制が開始
藤井寺球場が閉鎖され、翌2006年春には解体により姿を消した。    
さよなら藤井寺球場・藤井寺市民フェスタ」が、市民まつり・市民運動会との合同企画として開催された。
藤井寺球場跡地に四天王寺学園小学校四天王寺大学藤井寺駅前キャンパス(のち閉校)が開校した。
社会福祉法人種の会のなな保育園(2016年4月よりななこども園)が開園した。(市立第7保育所を民営移管した)
古市古墳群が堺市の百舌鳥古墳群と共に、ユネスコの世界遺産暫定一覧表に記載された。
近鉄土師ノ里駅の駅前広場が完成し、駅の全面改修工事が完了した。(新駅舎は前年10月より使用開始)
「イオンモール藤井寺」が閉店。その後解体される。
小学校に併設されて四天王寺学園中学校が開校した。            2011年3月に東日本大震災発生
市立道明寺こども園が開園した。(道明寺幼稚園と第2保育所が統合され幼保連携型複合施設となった)
四天王寺学園小学校が四天王寺小学校と改称された。
四天王寺学園中学校に併せて四天王寺学園高等学校が開校した。
大阪女子短期大学高等学校大阪緑涼高等学校と改称された。
大阪女子短期大学が閉学し、63年の歴史を閉じる。
   令和
2019(1). 7
    . 8
      . 9
2020(2). 3
     . 4

2021(3). 3

第43回ユネスコ世界文化遺産委員会で、「百舌鳥・古市古墳群」世界文化遺産登録が決定された。
市立小・中学校の全普通教室に空調設備が設置された。
イオン藤井寺ショッピングセンター」が「イオンモール藤井寺」の跡地に開店した。
藤井寺西幼稚園道明寺東幼稚園藤井寺南幼稚園野中分園が閉園し、他の幼稚園区に統合・再編された。
四天王寺学園中学校・四天王寺学園高等学校が、四天王寺東中学校・四天王寺東高等学校と改称された。
社会福祉法人そうび会のふじみ保育園が開園した。(小山藤美町)

藤井寺北幼稚園が閉園し、藤井寺幼稚園に統合された。

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