他市町村と共同で行う消防事業−2024年4月から新体制
藤井寺市には、隣接する他の市と事業組合をつくって共同で取り組んでいる事業がありま
す。消防、環境事業(主としてごみ処理)、学校給食の三つです。それぞれの事業ごとに法律
に基づいた一部事務組合を設立し運営していますが、この内、その歴史が最も古いのが消防
組合の事業です。また、予算規模や人員数でも最大なのが消防組合です。(これらとは別に、
藤井寺市は水道事業でも大阪広域水道企業団に加入しています。)
藤井寺市は、前身の美陵町時代から羽曳野市・柏原市と3市(町)で消防組合をつくり、60
年間に渡ってその体制を続けてきました。近年に至って、行政の広域化が重要な課題として
提唱されるようになり、特に、各自治体が運営責任を持つ水道事業・消防事業についてより
広域化を進める要請が高まっていました。事業の効率化が大きな目的ですが、人口減少社会
に対応した財政的効率化も求められました。
2022(令和4)年5月、南河内地域を中心とした消防広域化を目指して大阪南消防広域化協議
会が設立され、新しい広域消防体制の設立に向けて協議が進められました。そして、柏原羽
曳野藤井寺消防組合・富田林市消防本部・河内長野市消防本部を統合する新しい消防組合を
設立することになりました。大阪南消防組合の誕生です。
大阪南消防組合は、柏原市・羽曳野市・藤井寺市・富田林市・河内長野市・太子町・河南
町・千早赤阪村の8市町村で構成され、これらの市町村を管轄エリアとします。南河内地区
の7市町村に中河内地区の柏原市が加わっています。なお、太子町・河南町・千早赤阪村の
3町村は従来は消防事業を富田林市に事務委託していて、富田林市消防本部の管内でした。
南河内地区でも松原市・大阪狭山市はこの組合には加わっていません。松原市消防本部は
おもに地理的関係から大阪市消防局と連携する体制に移行するようです。大阪狭山市消防本
部は、隣接する堺市消防局に消防事務が委託されたことにより、2021(令和3)年4月より堺市
消防局の管内となりました。堺市・高石市・大阪狭山市の3市で構成されています。 |
消防局は藤井寺市に設置
大阪南消防組合の消防本部となる大阪南消防局は、藤井
寺市にある従来の柏羽藤消防本部の場所に置かれました。
従来の3消防本部の中では、柏羽藤消防本部が最も規模が
大きく、そのまま消防局として使用できる施設だったから
でしょう。新たな施設造りを省くことができます。
管内全体から見ると、北の端の方に本部が存在すること
になりましたが、日常の消防・救急等の業務は従来通り各
消防署が行うので、特に問題はないようです。また、通信
技術が進んでいるので、本部は必ずしも管内の中心部にあ
る必要がありません。
2024(令和6)年1月1日、消防組合の名称が大阪南消防
組合に変わりました。次いで同年2月には、3消防本部の
指令センターを統合した新たな高機能指令センターが消防
本部に整備されました。そして、同年4月1日から本部名
が大阪南消防局となり、管轄エリアが上記の範囲に変わり
ました。管内人口総計が約48万人(2023年)となる、府内
でも有数の規模の消防管区が誕生しました。 |
組織 |
本部 |
消防署名称 |
大
阪
南
消
防
組
合 |
大
阪
南
消
防
局
藤
井
寺
市 |
柏羽藤消防署 |
藤井寺分署 |
柏原分署 |
国分出張所 |
羽曳野出張所 |
高鷲出張所 |
富田林消防署 |
金剛出張所 |
太子出張所 |
河南出張所 |
千早赤阪出張所 |
河内長野消防署 |
千代田出張所 |
南花台出張所 |
|
大阪南消防組合の体制 |
|
新しく大阪南消防組合が発足しましたが、従来の柏原羽曳野藤井寺消防組合も60年の歴
史がありました。藤井寺市に深く関わることとして、同組合ができるまでの藤井寺市域の消
防事業や、同組合の変遷にについて簡単に取り上げておきます。
戦時中に始まった消防
現在の藤井寺市域に関わる消防事業で、行政によって最初に組織されたのは、太平洋戦争
敗戦の1年前、1944(昭和19)年8月のことでした。「大阪市周辺重要地域に対する消防警備の
ため」ということで、当時の南河内郡柏原(かしわら)町に大阪府警察局消防柏原出張所が開設さ
れ、当時の柏原町・志紀村・道明寺(どうみょうじ)村・国分(こくぶ)町の4町村を警備管区としました。
以後、現在の組合ができるまでの経過は次のようでした。
◆昭和21年4月 戦後になって消防署に昇格し、南河内郡柏原町、国分町・志紀村・道明寺
村を管轄区域とする 大阪府柏原消防署として発足、庁舎も新たに柏原
町に造られた。
◆昭和22年12月 「消防組織法」が公布され、管内の4町村は協議の上、地方自治法に定
める一部事務組合を設立して、柏原町外三ケ町村消防組合消防本部が
発足。これが初めての消防組合だったが、現在の藤井寺市域の中では当
時の道明寺村だけが組合に加入していた。道明寺村は昭和26年に道明寺
町となっている。
◆昭和30年4月 昭和23年11月〜昭和30年3月の間に国分町、志紀村、道明寺町の順に相
次いで組合からの脱退があり、柏原町単独の柏原町消防本部となる。
この年の10月、国分町が柏原町と合併する。
◆昭和33年10月 柏原町が市制を施行し、柏原市消防本部と改称される。
新しい消防組合の設立
その後、消防組織法の改正があり、1963(昭和38)年に柏原市・羽曳野(はびきの)市・美陵町(み
ささぎちょう 藤井寺市の前身)は、柏原市消防本部を母体として消防組合を設立します。そして、
10月1日に「柏原羽曳野美陵消防組合」が発足し、消防本部消防署が設置されました。翌年
には新しい消防本部の庁舎(現・藤井寺分署)が土師ノ里駅の近くに完成しました。その前に
道明寺町は藤井寺町と合併して、「美陵町」(現藤井寺市)が誕生していました。この「柏原
羽曳野美陵消防組合」の設立が現在の「柏原羽曳野藤井寺消防組合」のスタートです。
昭和41年11月1日には「藤井寺市」が誕生し、組合の名称が変更されました。「柏原羽曳野
藤井寺消防組合消防本部」という長い正式名称は、普段は「かしはふじ消防本部」と略称で
呼ばれていました。
消防本部の場所が藤井寺市の土師ノ里駅近くになったのは、道路条件からみて都合の良い
位置であったからです。3市を合わせた区域のほぼ中央を南北に通る国道170号(現旧170号)
と、東西に横切る府道堺大和高田線(現府道12号)の交差点のすぐそばにあって、各方面に緊
急出動するには大変都合の良い位置でした。消防本部庁舎は高さ28mの望楼を備えた、当時
としては立派な消防署の建物でした。
増える人口と消防体制の増強
この後、3市の人口は増加の一途をたどり、消防事業もその増強が要求されました。1972
(昭和47)年10月に柏原出張所(後に場所は移転 2019年分署に格上げ)が、11月には羽曳野出
張所が開設され、各市に1ヵ所ずつの消防署体制ができました。さらに、1981年(昭和56年)
4月に高鷲(たかわし)出張所(羽曳野市)、1997(平成9)年4月に国分出張所(柏原市)が開設された
のです。3市の管内人口の合計は組合発足直後の昭和40年で約12万8,500人だったものが、
平成28年には約25万900人となり、ほぼ2倍になっています。この地域の都市化がずいぶん
と進んできたことがわかります。
消防本部自体も、増強し機能強化されることが求められてきて、1994(平成6)年12月に新
しい消防本部が藤井寺市青山に新築移転して開設されました。もともと、旧消防本部は位置
を優先して場所を決めたことで、敷地の面では不十分さがありました。国道と府道、それに
市野山古墳で囲まれた狭い区域の中に設置したため拡張の余地が無く、施設の増強は物理的
に無理があったのです。
旧消防本部は、藤井寺分署となり、これで、各市に2ヵ所ずつの消防署が整うこととなっ
たのです。分署はその後、望楼が撤去され、後に改築されて現在の姿になりました。
新しい消防本部
移転した現在の消防本部庁舎は4階建延約3,930uで、旧本部に比べるとずいぶん大きくな
り、延床面積では旧本部の実に7.3倍です。敷地も約4,960uと旧本部の約4.8倍もありま
す。敷地の半分近くは、訓練棟3棟を含む訓練用スペースとなっています。他にも車庫棟が
2棟あります。
消防本部は、組織的には、消防本部の機能とは別の消防署(本署)が併設された形となって
おり、その分署として藤井寺市にあるので「藤井寺分署」という名称になっています。
2023(令和5)年4月の時点で、6ヵ所の消防署の合計数は、消防車両が18台、救急車8台、
職員定数は278人です。旧本部の業務が開始された時、職員定数は37人、消防車両3台と救
急車1台という態勢でのスタートでした。ほぼ半世紀の間でのこの数字の変化は、地域の都
市化のみならず、高層建物の増加、自動車交通の激増、ガス・電気の使用機会の激増など、
社会の変化をそのまま反映したものと言ってよいでしょう。 |