藤井寺市柏原市学校給食センター
(藤井寺市柏原市学校給食組合事務局・学校給食センター) |
所在地:大阪府藤井寺市船橋町9−1
TEL : 072−953−3761(代) |
交通:府道12号(堺大和高田線)・石川橋西詰から石川左岸堤防道路を北へ約750m
近鉄南大阪線・土師ノ里駅から北東へ約1.2km 徒歩約18分 |
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藤井寺市柏原市
学校給食センター(南東から)
センターは石川の左岸(西岸)堤防道
路に面している。センター建物の後方
には近鉄・道明寺線が接して走ってい
る。また、北側(右側)には船橋浄水場
が隣接している。 |
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柏原市と共同で取り組む事業
藤井寺市には、隣接する他市と事業組合をつくって共同で取り組んでいる事業があります。
消防、環境事業(主としてごみ処理)、学校給食の三つです。それぞれの事業ごとに法律に基づ
いた一部事務組合を設立し運営しています。
藤井寺市の学校給食は、柏原市との共同事業として運営されています。1971(昭和46)年1月
に「藤井寺市柏原市学校給食組合」が設立され、この年の10月から給食を開始することが決ま
りました。
給食センターには、第1センターと第2センターがあり、第1センターは1971(昭和46)年8月
に、第2センターは4年後の1975年5月に完成しました。各センターとも最大1日1万食の製
造規模を持ち、児童数のピークであった昭和50年代中頃には、合わせて約2万食近い給食を製
造していました。現在は児童数の減少を受けて大幅に減っています。
変わってきた給食製造の様子
1971(昭和46)年10月1日に、当時の藤井寺市5校、柏原市5校の10小学校で給食が開始され
ました。大阪府の中では開始の遅い完全給食実施でしたが、南河内地域では一番早い開始だっ
たのです。
給食開始は、10校分の9,816食で始まりました。当時の給食費は月額一律1,000円でした
が、後に低高学年別、低中高学年別に変わり、金額も物価上昇に連動して上がっていきました。
第2センターができた1975年(昭和50年)には、両市で13校、約12,200食になりました。その
数年後には児童数のピークを迎え、やがて少しずつ減少に向かっていきました。給食数が1万
食を割ってからは、第1センターだけで製造するようになり、第2センターは休止となりまし
た。
その後、平成26(平成2014)年4月には、両市の中学校9校にも配送が開始され、令和6(2024)
年度では、両市の小学校16校、中学校9校に約9,450食が配送されています。給食開始当時よ
りも学校数はずいぶん増えていますが、児童・生徒数は当時よりも少なくなっていることがわ
かります。現在の給食費月額は、小学校の1・2年が4,450円、3・4年が4,550円、5・6
年が4,650円で、中学生が5,150円です(2024年4月)。
給食センターができてから43年半の間、両市の小学校分だけの給食製造でしたが、数年前
から大阪府内でも中学校の給食実施を目指す機運が高まり、藤井寺市・柏原市も平成26年4
月から全市立中学校への給食を開始しました。休止していた第2センターを再度稼働させるた
めの改修工事が実施され、久しぶりに第1・第2センターそろっての製造体制がスタートしま
した。2019年4月での総給食数は約10,300食で、40年ほど前の量に近いところまで回復した
ことになります。
変わってきた献立や食器
給食の献立も変化してきています。当初はパン給食だけでしたが、1976年4月に初めて米飯
給食が導入され、数年後には、学期1回→月1回→週1回と増やされていきました。そして、
1986(昭和61)年度から週2.5回となり、給食費も低中高学年の3段階になりました。現在は週
3.5回の割合で米飯給食が実施されています。副食の内容も時代とともに変化し、多様な献立
が提供されるようになってきました。
使用される食器類も変化しています。当初はアルミ製の盆に樹脂製の食器と先割れスプーン、
ビン牛乳でしたが、やがてステンレス食器と樹脂製の盆に変わりました。牛乳も開始後ほどな
くして紙パック牛乳に変わりました。米飯給食の導入に伴って樹脂製の箸が使われるようにも
なりました。長年使われてきた先割れスプーンでしたが、いろいろと問題指摘もあって、2004
(平成16)年度からはスプーンとフォークに切り替えられました。また、容器も、長年続いて使
用されたステンレス製に替わり、「温もりのある食器」ということで、2011年9月から再び樹
脂製(PEN樹脂)の食器が使われています。 |