三ツ塚古墳(総称)
(みつづかこふん)
《 仲姫皇后陵ろ号陪冢(八島塚) 》《 仲姫皇后陵い号陪冢(中山塚) 》《 国史跡(助太山) 》
総 称 別 名  三ツ丸古墳
個 別 名 称 助太山(すけたやま)
〈 西側 〉
中山塚(なかやまづか)
〈 中央 〉
八島塚(やしまづか)
〈 東側 〉
指 定 名 等 国史跡 仲姫皇后陵い号陪冢  仲姫皇后陵ろ号陪冢 
所  在  地  大阪府藤井寺市道明寺6丁目  
最寄り駅と道のり  近鉄南大阪線・土師ノ里(はじのさと)駅より南へ約400m(八島塚まで) 徒歩約6分  
推定築造時期  5世紀前半とする説(円筒埴輪年代)と7世紀とする説(露出凝灰岩)とがある
古  墳   形 方  墳 方  墳  方  墳 
墳丘の一辺(m) 36 50 50
三ツ塚古墳(南より) 真上から見た三ツ塚古墳
  三ツ塚古墳(南より)
     西から、助太山、中山塚、八島塚。写真の左上
    の方には仲津山古墳がある。
三つの方墳 ― 陪冢(ばいちょう)と国史跡
 仲津山古墳(仲姫(なかつひめ)皇后陵)の南東側には、東西
に一列に並んだ三つの方墳があります。「三ツ塚古墳
と総称されていますが
それぞれに個別の名前がありま
す。西側は助太山(すけたやま)、真ん中は中山塚(なかやまづか)
東側は八島塚(やしまづか)といいます。3基とも方墳で、中
真上から見た三ツ塚古墳   ★の位置が「修羅」の出
  土場所。現在はマンションが建っている。
の斜面部分
  が「土師の里埴輪窯跡群」。三基の方墳の南辺が一直線
  に揃っており、ほぼ正方位に造られている。
中山塚と八島塚は一辺50m、助太山は一辺36mの大きさです。三つの古墳は濠を共有しており、古墳の南辺をほ
ぼ東西の一直線に揃えていることなどから、相互に関連を持ってほぼ同時期に造られたことがうかがえます。
 三ツ塚古墳は仲津山古墳の堤に接しており八島塚は「仲姫皇后陵ろ号陪冢
」、中山塚は「仲姫皇后陵い号陪冢」
に治定
(じじょう)されています。一つだけ小さいせいか、助太山だけが陪冢の治定から外れてます。しかし1956(昭和
31)年には助太山は国史跡に指定されています。

巨大な木ぞりの発見
 
三つ並んだ陪冢の古墳という特徴のほかには、そんなに注目されることもなかったのですが1978(昭和53)年
にこの古墳の周濠跡で一大発見があり、三ツ塚古墳は一躍有名な古墳となりました。
 八島塚と中山塚の間の濠跡が、マンション建設に先立って大阪府教育委員会によって発掘調査されましたが、濠
底部分から巨大な木製のソリ「修羅(しゅら)
が出土したのです。考古学上の大ニュースとして報じられ、全国から多
くの見学者が訪れました。
 市内にいくつもの大型古墳をかかえる藤井寺市ですが、これ以後、藤井寺市にとって「修羅」は特別な存在とな
り、いろいろな所で「しゅら」という言葉が使われていくことになります。
 この修羅は、発見された時の状態か
ら、三ツ塚古墳築造の後にそれほど時間を置かずに濠底の穴の中に置かれたと
考えられています。つま
り、修羅が製造されて使用されていた時期は、三ツ塚古墳の築造時期とほぼ同じ頃というこ
とになります。では、その三ツ塚古墳の築造時期とはいつなのでしょうか。

三ツ塚古墳の築造時期
 築造時期については、二つの説があります。一つは、修羅の発掘調査の際に濠から出土した埴輪を、八島塚と中
山塚に立てられていたものであると考え、その特徴などから古墳の築造時期を5世紀代とみる説です。
 もう一つは7世紀とする説で、これはいくつかの理由に基づきます。まず、助太山古墳の墳頂部には巨大な石の
一部が露出してお
り、横口式石槨(せっかく)という埋葬施設の天井石である可能性があります。また、円筒埴輪や墳丘斜
面の葺石
(ふきいし)が見つかっていないことも挙げられていますこれらの特徴は5世紀よりもずっと後の時期のものな
ので、助太山古墳は古墳時代の終末期に、古市古墳群の中で最も遅く造られた古墳の一つであると考え、八島塚古
墳と中山塚古墳も同じ時期だと考えられているのです。加えて
正方位を意識して造られていること、巨石の運搬具
とみられる修羅を周濠を掘った後の間もない時期に放置(納置)していること、なども指摘されています。つまり、
5世紀なら、巨石を使った大型古墳が次々と造られていく時期なので、手間を掛けて製造した貴重な修羅を、その
後の使用も考えずに放置するとは考えにくいわけです。

埴輪の窯跡群
 三ツ塚古墳のすぐ北側は、仲津山古墳南東側の堤の斜面となっています。この場所を利用して設けられた埴輪を
焼く窯の跡が、いくつも発見されています。この窯跡群は東方にある道明寺天満宮前の斜面まで数百mも続いてい
ます。現在までに16基の窯跡が見つかっており、「土師の里埴輪窯跡群
(はにわがまあとぐん)」と名付けられています。
 これらの窯は、出土した埴輪の特徴から5世紀中頃を中心に使用されたものと考えられています。この埴輪窯跡
群の南
300mほどの所には、もう一つ「土師の里南埴輪窯跡群」も見つかっています。

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藤井寺市HP「ライブラリー古市古墳群」   同「修羅の話」
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