国府遺跡 こういせき

近鉄南大阪線・土師ノ里駅より北東へ約900m(記念碑まで) 徒歩約14分 付近に駐車場所なし
旧石器時代からの複合遺跡
 約2万年前の旧石器時代から、縄文・弥生・古墳と、
各時代の人々が生活したと思われる跡が発見
されており、
現在までの調査で縄文・弥生時代の
90体以上の人骨
出土しました。
 考古学の研究史に大きな足跡を残し、貴重な資料を提
供して、その名を全国に知らしめ
国史跡に指定された
この地が、有名な
国府(こう)遺跡です。
100年近く前に発見されていた旧石器
 日本には旧石器時代は存在しなかったと考えられてい
  国府遺跡
  国府遺跡の中心地に立つ記念碑

た、今から100年近く前の1916年(大正5年)、京都帝国大学の喜田貞吉講師は、国府遺跡から採集
された石器の中に、縄文時代より古い旧石器時代の可能性のある石器があることに注目しま
した。
出土した地層の状況から、その可能性を考えたのです。
 翌1917年
京都帝国大学の浜田耕作教授が現地を発掘調査して、縄文から弥生時代の土器や石器
三体の人骨を発見しました。これにより、国府遺跡は一躍学会の注目する遺跡となりましたが

然として旧石器時代の存在には否定的な見解が示されました。このため、旧石器時代の研究は

後の
岩宿(いわじゅく)遺跡の発見まで、大きく進むことはありませんでした。
戦後の発掘調査と特徴的旧石器
 1949年(昭和24年)の群馬県・岩宿遺跡での旧石器発見以降
わが国での旧石器時代の存在が少し
ずつ明らかになる中で、国府遺跡も旧石器時代の確認を目的として、1957年
1958年に再度発掘調
査が行われました。
 この発掘調査では、特徴的な旧石器が確認されま
した。これらの石器は、二上山で採れるサヌカ
イト
という石を使って、横に長い石片(翼状剥片)を連続的にはぎとっていく方法で作られており

この製法は「瀬戸内技法」とよばれてい
ます。この方法で作られた石器は、国府遺跡の名をとって
国府型ナイフ形石器」とよばれ、石器分類の標式とされています。
国史跡の指定へ
 国府遺跡は、旧石器時代の出土物だけでなく、縄文・弥生時代の人骨の出土など、古くから考古
学界で注目されています。学術的にも貴重な遺跡として、1974年(昭和49年)に国史跡に指定
され、
さらに、1977年(昭和52年)に追加指定されました。現在は、史跡公園として整備されています。
 藤井寺市の市章には、国府遺跡から出土した
けつ状耳飾りの形がモチーフとして使われてい
ます。
 奈良時代には
この地に河内(かわち)の国の役所である河内国府(こくふ)が置かれ、現在も国府(こう)
地名が残っています。国府遺跡の名もこれがもとになっています。

国府型ナイフ形石器 けつ状耳飾り
市内で出土した国府型ナイフ形石器 国府遺跡から出土したけつ状耳飾り
写真は「探検・石器の時代」(1995 藤井寺市教育委員会発行・ふじいでらの歴史シリーズ1)より
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