「ブクンダ」はため池の名前から
ブクンダ公園は、広場や花壇のほかに、アスレチック遊具、藤棚、身障者用トイレなどが
あり、藤井寺駅の近くでゆっくりすごせる場となっています。
この場所は、隣接する「市立第3保育所」「市立藤井寺駅南駐輪駐車場」と共に、元はた
め池でした。江戸時代は、岡村に属するため池「仏供田池(ぶくでんいけ)」として、古地図にのって
います。明治期に作成された地籍図にも、「仏供田池」の小字名でのっています。
近年には「ブクンダ池」の呼称が使われてきました。「仏供」は、一般に「ぶっく」と読
むことから、「ぶっくだ」「ぶくだ」「ぶくでん」などの呼称がなまって、「ぶくんだ」に
なったものと思われます。漢字では読みにくいことから、市が作成する地図などでも、「ブ
クンダ」のカタカナ表記が一般化しました。
今では池の姿はすっかり消えてしまいましたが、実は仏供田池の一部分は、市営駐車場の
屋外駐車スペースの地下に生き残っています。コンクリート基盤で覆われた地下貯水池とな
っていますが、元の池の規模から比べるとほんの一部分の大きさです。駐車場への進入路に
向いて、防火用水として利用するための4口の取水栓が設けられています。
「ため池」埋め立て利用の先がけ
もともとの仏供田池はかなり大きくて、現在の公園・保育所・駐車場を合わせた面積の倍
以上の大きさがありました。1882(明治15)年に作成された『河内国丹南郡岡村誌』の「池」の
項には、「仏供田池 東西五十一間 南北六十三間 周回壱町五拾四間 村ノ南方ニ有テ本
村用水ニ充ツ」とあります。つまり、「東西51間(約93m)、南北63間(約115m)、周囲1町54間
(約207m)」の規模であったことがわかります。
古地図を見ると、南北に長い形をしていますが、昭和40年代に保育所や公園の建設で埋め
立てられる前には、東西に長い長方形のような形でした。これは、それまでに池の北側半分
以上が埋め立てられていたからです。藤井寺市史の史料によると、1936(昭和11)年に当時の
公簿面積3,652坪(約1.2ha 含堤部分)の内、北側の1,967坪(6,491u)の溜池・堤が宅地へ地類
転換されています。理由は、「以前から大阪鉄道(現近畿日本鉄道)が住宅経営を進めており
現在仏供田池の灌漑用水を利用している田畑も次第に宅地化して減少していく」からという
ものでした。宅地に転換された部分は、1922(大正11)年にできた藤井寺駅のすぐ南側に当た
り、駅南側の市街化が進む先がけとなりました。
学校から商業地へ
戦時中から戦後しばらくまで、この場所には私立の旧制中学校「菊水中学校(後菊水高等
学校 1952年廃校)」がありました。戦後間もなくに撮られた航空写真でこの学校の姿を見る
ことができます。また、この写真では、周りとの比較で元の仏供田池の規模を知ることがで
きます。その後、商業用地に転用されて、現在は銀行や商業ビル、商店街となっています。
その一角にある通りが「菊水通商店街」と呼ばれており、ここにその名を留めています。 |