古市古墳群
全国有数の古墳群−7基の巨大古墳も
 大阪平野の南東部、現在の藤井寺市羽曳野市にまたがる東西約4km、南北約4kmの範囲の中に、
たくさんの古墳が集中して存在する場所があります。この古墳の集まりを「古市(ふるいち)古墳群
と呼
んでいます。古墳群の中心的存在である誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳の場所が
かつて古市町(現羽曳
野市)だったことや、古墳群の大部分が表されている2万5千分の1地形図(国土地理院発行)の区分
名が「古市」であることなどからこの呼び名が付いています。
 古市古墳群では、大小合わせて
130基の古墳が確認されて(2015年3月)います。これらの古墳は今
までの調査・研究によって、4世紀後半から6世紀前半にかけての約
180年間に造られたことがわか
っています。
 古市古墳群には、大型の前方後円墳が多く、墳丘長100m以上の前方後円墳が15基あります。その
うち、墳丘長200m以上の巨大な前方後円墳が7基もあります。これは
古市古墳群の最大の特徴と言っ
てよいでしょう。また、これらの前方後円墳のうち、宮内庁から天皇陵・皇后陵・皇子陵として治定
されているものが
10ヵ所あり、他にも陵墓参考地陪冢(ばいちょう)とされているものも多数あります。
 このように多くの古墳で成り立つ古市古墳群ですが、残念ながら現存する古墳は、
45基だけです。
あとは、建物や道路の建設で墳丘が壊されて消えてしまったもの(消滅古墳)、ずっと昔に壊されてし
まっていて最近の発掘調査で存在がわかったもの(埋没古墳)なのです。何しろ1500年ぐらいも前に造
られたものであり、長い歴史の中でいろいろな変化が起きるのもやむを得ないことでしょう。今後の
発掘調査でも埋没古墳が見つかる可能性は高
く、この地域の古墳の数はさらに増えていくと思われます。
 藤井寺市域の古墳は
130基の内の94基で、その中の28基が現存しています。つまり、古市古墳群
のうち、古墳の総数では約7割が、現存古墳では約6割強が藤井寺市にあるということなのです。
 28基の現存古墳の内、11基が藤井寺南小学校の校区内に存在しています。これは、市内7小学校
区の中で最多の数です。校区外の近くにもいくつもの古墳があり、校区に隣接する羽曳野市域にも誉
田御廟山古墳をはじめ多数の古墳が分布しています。藤井寺南小学校は、まさに古墳に囲まれた学校
と言ってもよいでしょう。                 「空から見る古市古墳群」
 古市古墳群は、藤井寺市の歴史や文化財を知る上で、大変大きな存在であると言えるでしょう。藤
井寺市域の大部分が、まるで古代豪族達の墓地であるかのように見えるほど、市内における古墳分布
の密度は高く、その意味では少々特別な地域と言ってもよいのではないでしょうか。
古市古墳群中心部
  古市古墳群の中心部(南西より北東方向を見る)          ( )内は一覧表番号
 手前より  1 青山古墳(33)   2 浄元寺山古墳(70) 3 墓山古墳(5)    4 向墓山古墳(69)
       5 野中宮山古墳(8)  6 東山古墳(75)   7 誉田御廟山古墳(1) 8 大鳥塚古墳(14)
       9 古室山古墳(9)  10 仲津山古墳(2)
世界文化遺産に登録
 2019(令和元)年7月6日、アゼルバイジャンで開催されたユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺
産委員会で、日本政府が推薦していた「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産に登録することが決定
されました。
 堺市の百舌鳥古墳群と共に、「百舌鳥・古市古墳群」としてユネスコの世界文化遺産登録を目指そ
うと言うので、地元自治体の堺市・藤井寺市・羽曳野市と大阪府が一体とな
って、12年に及ぶ登録推
進運動を展開してきました。2017年7月には文化審議会において百舌鳥・古市古墳群は
「2019年の世
界文化遺産登録を目指す候補
として決定されました。そして、2019年7月に、ついに世界文化遺産登
録が決定されたのです。
 百舌鳥古墳群では
21件23基、古市古墳群では24件26基、合計45件49基の古墳が構成資産として
登録されました。藤井寺南小学校の校区内でも、5基の古墳が構成資産として登録され、校区に世界
文化遺産のある小学校となりました。
 百舌鳥・古市古墳群で世界文化遺産の構成資産として登録された古墳を小学校区別に見ると、堺市
・大仙
(だいせん)小学校の13基は別格としても、2番目の6基が在る道明寺南小学校に次いで3番目
となるのが5基の藤井寺南小学校です。同じく5基の羽曳野市・古市小学校も3番目です。
ライン

  古市古墳群の一覧 

       古 墳 群 全 体 ( )内は現存数
所 在 地 前方後円墳 円   墳 方   墳 不   明
藤井寺市 17 (12) 30 (4)  39 (11) (1)  94 (28)
羽曳野市 13 ( 9)   (2) 13 (6) (0)  36 (17)
30 (21) 39 (6)  52 (17) (1) 130 (45)
古墳数は『古市古墳群を歩く』(古市古墳群世界文化遺産登録推進連絡会議 2015年3月)に拠ります。
名称は、「○号墳」以外はすべて後ろに“古墳”が付きます。
※は、墳丘が失われた古墳、は、国史跡に指定されているものを示します。
は、世界文化遺産に登録された構成資産の古墳です。
所在地が藤井寺南小学校区内の古墳は、
が現存古墳でが墳丘消滅古墳です。
陵墓名と陪冢名は、宮内庁の治定によります。
各表には未掲載の古墳が若干あります。
前 方 後 円 墳
番号 古 墳 名 称 墳丘の長さ
(m)
所 在 地 備     考
誉田御廟山(こんだごびょうやま) 425 羽曳野市 応神(おうじん)天皇陵
仲津山(なかつやま) 290 藤井寺市 仲姫(なかつひめ)皇后陵
岡ミサンザイ 242 藤井寺市 仲哀(ちゅうあい)天皇陵
市野山(いちのやま) 230 藤井寺市 允恭(いんぎょう)天皇陵
墓山(はかやま) 225 羽曳野市 応神天皇陵ほ号陪冢  
津堂城山(つどうしろやま) 208 藤井寺市 藤井寺陵墓参考地  
前の山(まえのやま) 200 羽曳野市 日本武尊(やまとたけるのみこと)白鳥陵
野中宮山(のなかみややま) 154 藤井寺市
古室山(こむろやま) 150 藤井寺市  
10 野中ボケ山 122 藤井寺市 仁賢(にんけん)天皇陵
11 高屋築山(城山)(たかやつきやま) 122 羽曳野市 安閑(あんかん)天皇陵
12 白髪山(しらがやま) 115 羽曳野市 清寧(せいねい)天皇陵
13 二ツ塚(ふたつづか) 110 羽曳野市 応神天皇陵域内陪冢  
14 大鳥塚(おおとりづか) 110 藤井寺市  
15 はざみ山 103 藤井寺市
16 峯ヶ塚(みねがづか) 96 羽曳野市  
17 高屋八幡山(たかやはちまんやま) 85 羽曳野市 春日山田(かすがのやまだ)皇后陵
18 壷井丸山古墳 80 羽曳野市
19 盾塚(たてづか) 73 藤井寺市
20 駒ヶ谷宮山古墳 65 羽曳野市
21 鉢塚(はちづか) 60 藤井寺市  
22 庭鳥塚古墳 60 羽曳野市
23 唐櫃山(からとやま) 57 藤井寺市    (帆立貝形前方後円墳)
24 蕃上山(ばんじょうやま) 53 藤井寺市
25 鞍塚(くらづか) 51 藤井寺市
26 稲荷塚(いなりづか) 50 藤井寺市   (帆立貝形前方後円墳)
27 水塚(みずづか)  47   羽曳野市
28 小白髪山(こしらがやま) 46 羽曳野市 清寧天皇陵い号陪冢
29 お旅山古墳 45 羽曳野市
30 西山  40  羽曳野市 ※ 
31 城不動坂(しろふどうざか) 36 羽曳野市
32 青山2号墳  33  藤井寺市
33 軽里(かるさと)3号墳  33  羽曳野市 ※ 
34 矢倉(やぐら) 30 羽曳野市 ※   (帆立貝形前方後円墳)
35 次郎坊(じろうぼう)2号(林9号墳)  20  藤井寺市 ※ 
 36 軽里4号墳  18  羽曳野市 ※ 

円     墳
番号 古 墳 名 称 墳丘の直径
(m)
所 在 地 備     考
37 島泉丸山(しまいずみまるやま) 75 羽曳野市 雄略(ゆうりゃく)天皇陵 
38 青山(青山1号墳) 62(72) 藤井寺市    (造出し(つくりだし)付) 
39 誉田丸山(こんだまるやま) 50 羽曳野市 応神天皇陵域内陪冢  
40 高塚山(たかつかやま) 50 藤井寺市
41 宮の南塚 40 藤井寺市 允恭天皇陵は号陪冢
42 長持山(ながもちやま) 40 藤井寺市
43 越中塚(えっちゅうづか) 40 藤井寺市
44 兎塚(うさぎづか)1号墳  36(43) 藤井寺市  ※          (造出し付) 
45 赤子塚(あかごづか) 34 藤井寺市
46 五手治(ごてじ) 32 羽曳野市
 47 青山7号   32 藤井寺市 ※ 
 48 北大蔵(きたおおくら)(林11号墳) 32(35.5)  藤井寺市 ※          (造出し付)
 49 今井塚(はざみ山1号墳)  30  藤井寺市
50 御曹子塚(おんぞうしづか) 30 藤井寺市
51 横江山(小山1号墳) 30 藤井寺市
52 軽里2号墳  25 羽曳野市 ※ 
 53 下田池(しものたいけ)(はざみ山3号墳) 25 藤井寺市
 54 若子塚(わかごづか)(軽里1号墳)  23 羽曳野市 ※ 
55 藤の森  22 藤井寺市
56 蕃所山(ばんしょやま) 22 藤井寺市
57 潮音寺北(ちょうおんじきた)  22 藤井寺市 ※ 
58 狼塚(おおかみづか)(土師ノ里10号墳)  21(28)  藤井寺市 ※          (造出し付) 
59 衣縫塚(いぬいづか) 20 藤井寺市 允恭天皇陵ろ号陪冢
60 沢田(林2号墳) 20(23) 藤井寺市 ※          (造出し付)
61 落塚 20 羽曳野市
62 道端(土師ノ里3号墳) 20 藤井寺市
63 白鳥(はくちょう)1号墳 20 羽曳野市
64 サンド山2号墳(はざみ山2号墳) 20 藤井寺市
 65 西代1号墳  19.6  藤井寺市 ※ 
66 翠鳥園(すいちょうえん) 12号墳 15 羽曳野市 ※ 
67 元屋敷(もとやしき)(林1号墳) 15 藤井寺市
68 大正橋1号墳 10 藤井寺市
69 葛井寺(ふじいでら)1号墳 10 藤井寺市
70 土師ノ里(はじのさと)1号墳 藤井寺市
 71 塚穴(土師の里6号墳)  藤井寺市 ※ 
72 古池(ふるち)(林5号墳)  藤井寺市 ※ 

方     墳
番号 古 墳 名 称 墳丘の一辺
(m)
所 在 地 備     考
73 向墓山(むこうはかやま) 68 羽曳野市 応神天皇陵に号陪冢  
74 浄元寺山(じょうがんじやま) 67 藤井寺市
75 島泉平塚(しまいずみひらつか) 50 羽曳野市 雄略天皇陵 
76 中山塚(なかやまづか)(三ツ塚古墳・中) 50 藤井寺市 仲姫皇后陵い号陪冢
77 八島塚(やしまづか)(三ツ塚古墳・東) 50 藤井寺市 仲姫皇后陵ろ号陪冢  
78 鍋塚(なべづか) 50 藤井寺市  
79 東山(ひがしやま) 50 藤井寺市
80 アリ山 45 藤井寺市
81 西馬塚(にしうまづか) 45 羽曳野市 応神天皇陵は号陪冢  
82 栗塚(くりづか) 43 羽曳野市 応神天皇陵ろ号陪冢  
83 久米塚(くめづか)  42 羽曳野市 ※ 
84 野中(のなか) 37 藤井寺市
85 助太山(すけたやま)(三ツ塚古墳・西) 36 藤井寺市
86 33 藤井寺市
87 割塚(わりづか) 30 藤井寺市  
88 珠金塚西(土師ノ里7号墳) 30 藤井寺市
89 東馬塚(ひがしうまづか) 30 羽曳野市 応神天皇陵い号陪冢  
90 珠金塚(しゅきんづか) 27 藤井寺市
91 隼人塚(はやとづか) 20 羽曳野市 雄略天皇陵い号陪冢 
92 野々上(ののうえ) 20 藤井寺市 ●  仁賢天皇陵い号陪冢 
93 大半山(だいはんやま) 20 羽曳野市 ※ 
94 小具足塚(こぐそくづか) 20 藤井寺市
95 松川塚(まつかわづか) 20 藤井寺市  
96 茶臼塚(ちゃうすづか)  20 藤井寺市
97 西墓山(にしはかやま) 20 藤井寺市
98 青山4号墳  20 藤井寺市 
99 藤ヶ丘(ふじがおか)1号墳 16 藤井寺市
100 赤面山(せきめんやま) 15 藤井寺市  
101 翠鳥園(すいちょうえん)9号墳 15 羽曳野市
102 青山6号墳 14 藤井寺市
103 土師ノ里8号墳 12 藤井寺市
104 翠鳥園1号墳 12 羽曳野市
105 茶山(ちゃやま)1号墳 10 羽曳野市
106 土師ノ里9号墳 10 藤井寺市
107 西清水2号墳(土師の里12号墳)  10 藤井寺市 ※ 
108 殿町   10 藤井寺市 ※ 
109 西楠(土師の里11号墳)  藤井寺市 ※ 
110 青山3号墳 藤井寺市
111 青山5号墳 藤井寺市
112 翠鳥園2号墳  6.5 羽曳野市 ※ 
113 葛井寺(ふじいでら)2号墳 5.5 藤井寺市
114 西代2号墳 4.5 藤井寺市
115 次郎坊(じろうぼう)(林3号墳) 藤井寺市
116 ヒバリ塚(林4号墳) 藤井寺市
117 バチ塚(林6号墳)  藤井寺市 ※ 
118 屋敷中1号墳(林7号墳) 藤井寺市 ※ 
119 屋敷中2号墳(林8号墳)  藤井寺市 ※ 
120 屋敷中3号墳(林10号墳)  藤井寺市 ※ 
121 志貴縣主(しきのあがたぬし)神社南  藤井寺市 ※  (惣社1号墳)
122 兎塚(うさぎづか)2号墳 藤井寺市

墳 形 不 明
番号 古 墳 名 称 墳   丘 所 在 地  備     考
123 サンド山 藤井寺市 ●  応神天皇陵へ号陪冢 
124 土師ノ里2号墳 藤井寺市
125 東楠(土師の里4号墳)   − 藤井寺市 ※ 
126 長屋1号墳(惣社2号墳)  藤井寺市 ※ 
127 長屋2号墳(惣社3号墳) 藤井寺市 ※ 
128 折山(おりやま) 藤井寺市
129 小森塚(こもりづか) 藤井寺市 ※ 
130 翠鳥園10号墳 羽曳野市

古墳の大きさ
 古墳の大きさは、前方後円墳は墳丘の長さ、円墳や方墳なら直径や一辺の長さで表すのが一般的です。
したがって、現地にある古墳の実際の規模は、これらの数値よりも大きいのが普通です。特に前方後円墳
の場合、周濠(堀)や堤を含む大きさは、墳丘だけの大きさに比べてずっと大きいものになります。
 誉田御廟山古墳の墳丘長は
425mですが、周濠と内堤を含む総延長は650mにもなります。これだけ違
いが大きくなるのに、なぜ「古墳の長さは
650m」というふうに表さないのでしょうか。
 実は、誉田御廟山古墳の大きさは、もっと大きいものであったことがわかっています。現在ある古墳の
外側には、さらに外濠と外堤が存在していたのです。つまり、二重に周濠と堤を巡らせていたのです。古
墳の西側には、外濠と外堤の一部と推定される地形が残ってお
り、国史跡に指定されて保存されています。
この地形は、地形図や航空写真で簡単に確かめることができます。
 このように現在ある古墳の中には、造られた当初とは違う大きさになっているものがたく
さんあります。
前方後円墳では、誉田御廟山古墳のように、外濠や外堤がかつて存在したと推定される古墳が各地にあり
ます。円墳や方墳も同じです。そうであれば、現在ある古墳の全体長などで大きさを比べても、古墳の元
々の大小関係を表さないことになります。元々の全体の規模がよくわかっていない古墳の大きさを、今残
っている部分の大きさで表すことには無理があるのです。
 周濠や堤に比べて墳丘部分は大きさや形が残りやすく、今存在するものの大きさとして事実を表すこと
ができるし、どの古墳にも必ず存在するお墓としての中心部分です。お墓としての中心部ということは、
お墓の最も重要で本質的な部分ということです。その大きさは、被葬者の持っていた権力や財力の大きさ
に深く関わります。
 付属施設である周濠や堤の部分が民有地化して、農地や住宅地になってしまっていても、墳丘だけは残
っている古墳が多数あります。元々あったのかどうかよくわからない周濠の大きさの扱いによっては、古
墳の大きさの表し方があいまいなものになってしまいます。墳丘は形が多少変形していても、埋まってい
る埴輪や葺き石などから元の形や大きさを推定できます。
 このように考えると、どの古墳でも共通して扱える古墳の大きさを表す事実データは、墳丘についての
ものだということになってくるわけです。
ライン

「古墳のいろいろ」 「空から見る古市古墳群」
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