岡ミサンザイ古墳 | ||
《 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)恵我長野西陵(えがながののにしのみささぎ) 》 | ||
所 在 地 | 大阪府藤井寺市藤井寺4丁目 | |||||
最寄り駅と道のり | 近鉄南大阪線・藤井寺駅より南へ約1.2km(拝所まで) 徒歩約19分 後円部外周道路までは約700m 徒歩約11分 |
|||||
推定築造時期 | 5世紀末〜6世紀初 | 出 土 品 |
埴 輪 | 円筒埴輪(窖窯(あながま)で焼かれたもの) 形象埴輪(家・蓋(きぬがさ)・盾・人物など) |
||
古 墳 形 | 前方後円墳 | |||||
墳 丘 規 模 (m) |
墳 丘 長 | 242 | ||||
前方部 | 幅 | 182 | ||||
高さ | 16 | 埋葬施設 | 埋葬施設については不明 | |||
後円部 | 径 | 148 | ||||
高さ | 19.5 | その他の造り | 三段構成の墳丘、くびれ部の東側に造出し(つくりだし) 幅の広い周濠と幅約20mの外堤 |
|||
頂高 | 55 |
真上から見た 岡ミサンザイ古墳 広い周濠で囲まれている 様子がよくわかる。後円部 北側の広い部分は幅50mも ある。くびれ部の東側だけ に設けられた造出しの形が はっきりとわかる。 写真右下隅に見えるのは 一辺30mの方墳で割塚古墳。 岡ミサンザイ古墳のすぐ近 くにあるが、築造時期が違 うので、陪冢(ばいちょう)では ない。 陪冢としては、周濠辺の 北方100mの所に鉢塚古墳が あり、国史跡に指定されて いる。 |
||||
岡ミサンザイ古墳(南西より) 周りはすっかり住宅街になっている。周濠に いつも水を満々と貯えている姿は、典型的な大 型前方後円墳の様子でもある。 後円部の頂高55mは、藤井寺市内で最も高い 標高点である。 写真右上隅に見える広い土地は、藤井寺南小 学校の運動場。 |
古市古墳群3番目の大きさ 藤井寺市内の大型前方後円墳の中では、藤井寺南小学校に最も近いものですが、所在地はとなりの藤井寺西小学 校の校区です。近所では「仲哀(ちゅうあい)さん」で通っています。日本書紀に記された第14代天皇で、応神天皇の父で 日本武尊(やまとたけるのみこと)の子とされるされる仲哀天皇の陵と治定されています。「岡」はこの辺りの地名です。「ミ サンザイ」は一般に「ミササギ(御陵)」の変化したものだと言われますが、異説もあるようです。堺市の百舌鳥(もず) 古墳群にあるミサンザイ古墳(履中天皇陵)など、他にも「ミサンザイ」の付く古墳があります。 墳丘長242m、総長410mで、古市古墳群の中では3番目の大きさです。三段構成の墳丘で、くびれ部には東側 だけに造出しを備えています。この古墳は、古墳全体に占める周濠の面積の割合が大変大きく、幅の広い濠が墳丘 の周りを囲んでいます。壕は墳丘の南北部で50mほどの幅があり、いつも水を満々と貯えていて、多くの水鳥が飛 来する場所ともなっています。 「陵墓測量図」で、墳丘の崩れをうかがわさせる等高線の乱れが知られていましたが、1996年(平成8年)の宮内庁 による発掘調査で、中世に城郭として墳丘が利用され大規模な改変を受けていたことがわかりました。東側外堤上 では、濠を掘った時に出る湧き水を段丘外に排水するために開削したと推定される大規模な溝が見つかっています。 1973年(昭和48年)・1975年の宮内庁による発掘調査では、現在の堤の0.6m〜2.5m下に円筒埴輪列を伴う築造時 の堤が確認されています。本来の堤は、南辺が東辺より3m高く、東辺より西辺が1m高く造られており、ほとんど 盛り土をせず、自然地形の傾斜に従った高低差を持つことがわかりました。江戸時代の末期に各地の陵墓の大規模 修復が行われていますが、岡ミサンザイ古墳も堤のかさ上げが行われたと思われます。灌漑用水として利用するた めに堤を高くして水量を増やす工事の例は、各地の陵墓であります。岡ミサンザイ古墳の濠水は、岡村の用水とし て利用されていました。 5世紀末から6世紀初めの古墳 墳丘と堤から出土した埴輪は、窖窯(あながま)で焼かれたという共通の特徴を持っています。それらの埴輪の特徴から この古墳の築造は5世紀末から6世紀初めであると推定されており、市野山古墳(允恭天皇陵)よりも新しく、野中 ボケ山古墳(仁賢天皇陵)よりも古いと考えられます。そうなると、父である仲哀天皇の陵が応神天皇の陵・誉田御 廟山古墳より何十年も後に造られたことになります。応神天皇陵の比定の方が信頼度が高いとする見方が多く、岡ミ サンザイ古墳を仲哀天皇陵に比定することを疑問視する研究者は少なくありません。 同じ時期の埴輪が見つかっていることから、確実な陪冢(ばいちょう)とされる 鉢塚(はちづか)古墳が、岡ミサンザイ古墳の 北方約100mの所にあります。墳丘長約60mの中型前方後円墳で、国史跡に指定されていますが、周濠部分は埋め 立てられていて、北から東にかけての部分は藤井寺西幼稚園として利用されていました。藤井寺西幼稚園は入園児 の減少ににより、2020(令和2)年3月末で閉園となりました。 藤井寺市内の最高標高点 後円部の頂高は55mで、藤井寺市内の最も高い標高点となっています。人工の山ですが、ほとんど平坦な藤井寺 市の地形にあっては、大型古墳の山が“高い山”となるのです。高い建物から眺めるとよくわかりますが、藤井寺市 内のあちこちに小山のように盛り上がった古墳の姿を見ることができます。 |
||
「古墳のいろいろ」 「古市古墳群」 「空から見る古市古墳群」 | ||
藤井寺市HP「ライブラリー古市古墳群」 | ||