はざみ山古墳
(はざみやまこふん)
別     名 はさみ山古墳   鋏塚(はさみづか)古墳
所  在  地 大阪府藤井寺市野中(のなか)1丁目
最寄り駅と道のり 近鉄南大阪線・古市(ふるいち)駅より北西へ約1.5km(後円部西側まで) 徒歩約23
近鉄南大阪線・藤井寺駅より南東へ約1.7km 徒歩約26
推定築造時期 5世紀中頃


埴 輪 円筒埴輪(口縁部径50cmを超える大型品もあり)
形象埴輪(家形、盾形、蓋
(きぬがさ)形)
古  墳   形 前方後円墳




(m)
 
墳 丘 長   103
前方部    66 埋葬施設 組合せ式の石棺が発見されたと伝えられている
高さ     9.1
後円部     60 その他の造り 三段構成の墳丘
くびれ部の両側に造出し(つくりだし)
高さ     9.5
頂高    36.7
はさみの形
 古市古墳群の中央部に位置する中型の前方後円墳です
墳丘は三段構
で築かれ
くびれ部の両側に造出しを備えています周濠の後円部側
が埋まっており、墳丘を挟むような形に見える周濠の様子が、和鋏
(わば
さみ)
に似ていることから、古くより「はざみ山」「鋏塚」と呼ばれてき
たようです。埋まった部分は近年まで耕作地に利用されていました。
 周濠の形を真上から見ると、前方部の東側ラインと周濠の東側ライン
とは平行になっておらず、周濠の北東部の方が、南東部よりも広くなっ
ています。つまり、全体としては盾形の濠なのですが、対称形にはなっ
ていないのです。

変形した墳丘
 昭和初期に土取りが行われたことや濠の水の浸食によって、一段目は
ほとんど崩されて変形し、大きさも一回り小さくなっています。周辺の
発掘調査では、幅広い堤のめぐっていたことが明らかになっており

の内側斜面に葺石は施されていないことも確認されています。
 墳丘斜面には葺石
(ふきいし)が施されており、平坦面には円筒埴輪列があり
ます。円筒埴輪の中には、口縁部の径が
50cmを超える大型品も確認
れていて、形象埴輪も家形、盾形、蓋形が確認されています。出土した
円筒埴輪の特徴から、はざみ山古墳は5世紀中頃に築造されたと考えら
れています。
 昭和初期の土取りの際に、後円部から石棺が掘り出され
その石材を
数箇所の橋や樋門の底石にしたということが伝えられています。この石
棺は組合せ式(おそらくは長持形)だったと推測されますが
石棺内にあ
ったであろう副葬品とともに、その所在は不明です。
 後円部は、北西部の土取りの跡や中央部の盗掘のための掘り込みが残
っていて、本来の形が崩れています。
はざみ山古墳
  はざみ山古墳(南東より)
  古墳の規模の割には周濠部分が広い。墳丘は落葉樹
 が繁り、冬や春先には墳丘の形状がわかりやすい。
真上から見るはざみ山古墳
  真上から見るはざみ山古墳
  国道170号(左側)の側道が後円部側の周濠部をよけ
 ている様子がわかる。側道は高架の下に食い込んでい
 る。周濠の前方部側が対称形になっていないのもよく
 わかる。
開発と文化財保護
 1980(昭和55)年4月、はざみ山古墳の後円部周濠をかすめるようにして、大阪外環状線(現国道170号)の残り区間が開通
しました。実際は道路の設計ルートと周濠部の一部が重なる位置関係であったため、完成した南行き車線は周濠部をよけて
少し湾曲していました。その後野中跨道橋の新設に合わせて上下線の間に高架の本線道路が建設され、湾曲した車線は南行
き側道となりました。上の写真から、その様子を見て取ることができます。現存する古墳の形を損なうことなく、道路の方
を変形させて、歴史遺産である古墳を保護したわけです。
 古市古墳群の中央部に位置する藤井寺市には、
27基の古墳が現存しています。都市化が進んで行く中で、開発建設と古
墳の保存との折り合いのつけ方が大きな課題となってきました。今までにも、いくつもの古墳が建設に伴って姿を消し、
滅古墳
となっています。そんな中にあって
はざみ山古墳の場合は道路設計の工夫でうまく調整ができた例と言えるでしょ
う。その後、
1996(平成8)年3月29日はざみ山古墳国史跡に指定されました。
 古墳の保護
保存の例としては、藤井寺市内にはもっと代表的な例があります。いずれも国史跡である、赤面山(せきめんやま)
古墳
蕃所山(ばんしょやま)古墳です。赤面山古墳の場合は 高速道路建設に当たって古墳保護のために橋脚と側道の設計を大き
く変更しています。蕃所山古墳の場合は、住宅地開発の道路計画の中で古墳をうまく位置付けています。どちらも、関係者
が取り組んだ工夫の跡を見て感心させられます。

新たな遺跡の発見
 
1974(昭和49)年、大阪外環状線の建設に先立って建設予定地の発掘調査が行われました。その結果、道路予定地全体に広
がる大規模な遺跡が新たに発見されました。この遺跡は、はざみ山古墳とその南側にある野中宮山古墳の周囲一帯に広がっ
ており、「はざみ山遺跡」と呼ばれています。
 その後の大阪府教育委員会・藤井寺市教育委員会による発掘調査で、遺跡の内容が明らかになってきました。はざみ山遺
跡は、飛鳥・奈良・平安時代を中心として、鎌倉・室町時代まで続く大規模な集落の跡だったのです。発掘調査では、掘立
(ほったてばしら)の家や倉庫、井戸、土地の区画や排水のための溝、 水を溜めたりゴミを捨てるためのなどが見つかっていま
す。このことから、はざみ山古墳や野中宮山古墳は、古墳時代が終わると、周囲を集落に取り囲まれるような状況になって
いったことが分かります。

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