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HIGASHIOOBUKE ELEMENTARY SCHOOL 八幡平市立東大更小学校 |
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| 〒028−7111 岩手県八幡平市大更9-116 【北緯39゜54'26" 東経141゜08'47" 標高218M】 TEL:0195-75-0382 FAX:0195-75-0594 E-MAIL: .plala.or.jp |
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| 武田小四郎碑 | 大石平念仏剣舞 |
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山子沢の武田小四郎、郷童を集めて読書方に授け明治初年に及ぶ。 明治5年の学制発布により私塾を廃する。
明治 9年 5月15日 山子沢学校として開設。 |
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本校は、明治9年「山子沢学校」として開校し、その後6度校名を改めて昭和36年4月「東大更小学校」と称して現在にいたっている。 学区は、山子沢・岡村・中関・大石平・渋川の5地区からなり、校舎は開校当時の学校名からもうかがえるように、山子沢地区に建てられている。この山子沢 地区は、隣接する岡村地区や五百森などとともに山や丘、森に関する地名で、これは岩手山の火山泥流によってお椀を伏せたような小山が沢山あることと、小山 を木が覆い森状になっていることに由来すると言われている。 学区内には、二つの河川が流れて入る。北側には、北西から南東に向かって赤川が、南側には、大きく蛇行しながら松川が東流する。赤川は鉱毒水をふくんで おり、松川は暴れ川として氾濫を繰り返し、大地には沢山の泥流丘があるなど、耕地化・水田化が困難な地理的環境にあった。そのため、長いこと低生産畑作地 帯として苦しい生活を強いられたが、戦後の土地改良、松川用水の開発、機械力による耕地造成などによって、米作を中心とする安定した経営に変わってきた。 しかし、減反等の農家を取り巻く経済状況は、不安定な状況にある。 PTAの各家庭の職業は農家が主であるが、大半は兼業農家で両親共稼ぎの家庭である。しかし、3世代が同居する家族構成が多く、これが地区の一つの特徴となっている。 父母は、学校に対して極めて協力的であり、環境整備や学校行事への参加、子ども会指導等に一丸となって当たっている。 |
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未来にはばたけ 明るく強い東の子 希望の空に羽ばたく子 未来に向かってとびたつ子 あらしをこえる東の子 |
正面玄関にある校章 |
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礼儀 みじまえをよくせよ 礼儀作法をよくせよ 規律 きまりをよくせよ 自分のことは自分でせよ 勤勉 何事もよくつとめよ 何事もよくはたらけ |
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《踊りの由来》 この踊りの由来は、源義経が玉山村の武道の館に立てこもり、農民に剣の道を踊りにして教えたのが始まりと伝えられている。今から60年以前は、この地方 で盛んに踊られていた。踊りの内容は、扇踊り、太刀踊り、あや踊り、戸うちわ踊りと、全部で48種類ほどある。旧西根町芸術祭の始まりとともに、三浦伊三 郎氏の指導のもと、復活した。現在、東大更小学校の総合的な学習の時間の活動として位置づけられ、運動会や学習発表会、芸術祭、各種慰問活動等で伝承され ている。 《大台念仏剣舞(玉山村)との関連について》 明治の初期大更方面から伝えられたとのこと。大正時代に入り、明治の人々の指導を受けた大更村大石平の三浦伊三郎氏が主体となり、松内の古川寒七郎や大台の田村石松、生出の田村勇次郎たちが昭和九年の夏ごろまで踊ったと伝えられている。 |
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