沖揚げ音頭 報告 

■沖揚げ音頭社会教育移管への構想
公教育システム研究10号に掲載した石黒校長の原稿です。 北海道大学学術成果コレクショ(HUSCAP)からお読みいただくことができます。

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■ マリンバンク記事

 子どもたちの心のよりどころとなる郷土愛の涵養
 ~学社融合による「沖揚げ音頭」の再構築を通して~

  
 

1.はじめに

 本校は、石狩市の北端に位置するへき地3級、児童数32名、4学級の学校である。校区は暑寒別天売焼尻国定公園の一角にあり、豊かな自然や歴史文化、人材を活用した体験的な活動を重視し、「地域に根ざした浜益ならではの教育」に積極的に取り組んでいる。
地域は人口の減少と少子高齢化という課題を抱えており、平成23年3月には、浜益高校が閉校した。公共交通機関による通学手段を確保することが不可能なため、今後、浜益の子どもたちは義務教育修了後、故郷を離れることを余儀なくされることになった。
 このことを見据え、本校では平成28年度の学校経営の重点を次の二点とした。


・ 基礎学力の確実な定着
・ 郷土を愛する心の育成(ふるさと教育の推進)


 「ふるさと教育の推進」の柱として保存会の指導の下、「沖揚げ音頭」に取り組んでいる。

   
  明治末期。浜益の鰊漁。  

鰊番屋を再建した浜益郷土資料館

       

2.沖揚げ音頭とは

  浜益はかつて鰊漁によって繁栄した地域である。しかし、昭和32年に鰊漁が途絶して以来、人口は激減し、地域経済は衰退した。
その後、鰊漁の伝統を後世に残そうとする機運が地域の中に生まれた。昭和46年には浜益村百周年事業として、廃屋同然に風化していた鰊番屋を解体修理して浜益村郷土資料館が作られた。また、散逸していた漁具が住民の努力でここに収蔵された。
さらに、浜益の住民が残したいと願ったのが、労働歌として唄われていた沖揚げ音頭をはじめとする鰊漁の文化である。鰊漁の途絶から30年余りの年月が過ぎ、漁の経験者が高齢化していた平成元年に、地域の郷土史研究グループが、かつての船頭さんたちに呼びかけ、旧番屋を舞台に沖揚げ音頭を唄ってもらい、鰊漁について語ってもらう講座を実施した。
これに参加した浜益小(当時の黄金小)の教員らが、児童の活動として鰊漁の文化を伝えようとしたのが、今日につながる浜益小の沖揚げ音頭の始まりである。

   
  船頭さんたちの唄声 平成元年10月    
       

3.浜益小学校の沖揚げ音頭

  平成元年、歌詞が採録され楽譜に起こされた沖揚げ音頭は、子どもたちに伝えられ、
「あの岬かわせば また岬ではる ホイーヨー」
「ヤーシヨイサー」「ホーラドッコイショ」
という懐かしい響きが校舎に響いていった。
 最初の発表の場は平成元年度の卒業式だった。当時公務補として勤務していた野村賢治郎さんは若い頃に漁師として鰊漁を経験したことがあった。かつて結婚式で沖揚げ音頭が唄われていたことを思い出した野村さんは、地域の人が大勢集まる卒業式で、練習の成果を披露することを提案した。
 卒業式で子どもたちが元気よく唄う沖揚げ音頭を聞いて、参列したお年寄りや保護者は涙を流して感動したという。

   
  平成元年度卒業式(平成2年3月19日)   沖揚げ音頭に合わせて卒業生を胴上げ
 この成功を機に、沖揚げ音頭を浜益小で本格的に伝承しようという意識が高まり、平成2年度になるとすぐに、学校とPTAによる沖揚げ音頭保存会が結成された。
 唄に合わせて鰊漁の様子を可能な限り再現しようということとなり、保存会は地域に呼びかけて漁船や漁具を寄贈してもらうとともに村からの補助金で衣装などをそろえていった。当時の教員たちは、鰊漁の経験者である野村さんに聞きながら、かつての情景を再現するよう演出に工夫を凝らした。
 本物の船や実際に使われていた漁具を駆使して再現された浜益小の沖揚げ音頭は、毎年行われるふるさと祭りを中心に、石狩管内PTA研究大会や学校の研究会、地域の行事などで披露され、浜益の歴史と誇りを伝える取り組みとして多くの人に感動を与えてきた。
   
  平成2年村民文化祭   平成15年 石教研学校課題発表会のアトラクション
       

4.沖揚げ音頭社会教育移管への構想

  平成21年度、インフルエンザの影響で沖揚げ音頭の発表が中止になった。その空白があっただけに、浜益ふるさと祭りで再開した平成22年度の沖揚げ音頭は、地域や保護者から好評だった。
実は、20年にわたる取り組みは残念ながらすべて順調だったわけではない。
 用具がそろい演技内容が固まった2年ほどで保存会は活動を休止し、その後、実質的に学校だけの取り組みになっていた。旧浜益村の黄金小、中央小、北部小の統廃合で、浜益小が開校した平成11年度には、3校の公平性を根拠に沖揚げ音頭の廃止が議論された。
 そして、平成21年度には、新学習指導要領の総合的な学習の時間の時数大幅減を理由として、平成23年度から沖揚げ音頭の実施主体を学校から教育委員会浜益生涯学習課に移管することと学校の教育課程から外すことが、当時の校長と担当課長の間で合意されていた。それなりの負担感がある沖揚げ音頭を学校から離すという決定に、教員の間で一定のコンセンサスが生まれていた。しかし一方で、「地域行事で任意参加になったら、参加児童が確保できず、存続できないのではないか」という不安も存在していた。
 このような事情によって、平成22年度段階では、次年度の沖揚げ音頭は存亡の危機に立っていた。
 平成22年度の発表を成功裏に終えた後の反省で、「やはり、地域の伝統を伝えてきた取り組みの火を消してはならない」と、学校としての意見がまとまった。
 しかし、沖揚げ音頭が学校を離れることはすでに決定済みであり、これを反故にするわけにはいかない。ならば、社会教育への移管という決定事項を生かして学社融合の実を取るために、休止している「沖揚げ音頭保存会」を再編し、地域全体の力で子どもたちの取り組みを支えようと、再構築の構想を立てた。
・実行主体を「浜益沖揚げ音頭保存会」とする。
・会長は合意事項を踏まえ、浜益生涯学習課を所管する石狩市浜益支所長に依頼する。
・PTA会長を副会長、PTAを正会員として、児童が原則として全員参加することとする。
・事務局は生涯学習課主査と小学校教頭が担当する。
・観光協会や漁協、農協などに参加を呼びかける。
・学校の負担軽減のため、物品の管理と運搬を生涯学習課が担当する

 

5.新しい時代の沖揚げ音頭へ

(1)保存会の再編総会

  この構想は、関係者にたいへん好意的に受け止めていただくことができ、平成23年5月31日に「沖揚げ音頭保存会」再編総会を開催することが決定した。
この総会に向けて、「浜益の歴史と誇りを、今に未来に~石狩湾の新たなニシンに将来への希望を込めて創造する沖揚げ音頭」というテーマを掲げることにした。
準備段階で漁協の方たちとの交流が深まる中で、栽培漁業と資源保護の成果によって、現在は石狩市の漁獲量、生産額共に鮭やホタテを抜いて1位となるまでに石狩湾の鰊が復活していることがわかった。幻だった群来も復活している。
平成2年にスタートした第1段階が、「かつての繁栄をしのび伝統を伝える取り組み」であったとしら、新たな組織を立ち上げてスタートする第2段階の沖揚げ音頭は、「漁業と地域の再生と希望を願う取り組み」ということができると考えた。
総会には、各団体から多くの方に参加していただくことができ、上記の構想を踏まえた会則と浜益支所長の渡邉隆之さんを会長とする新たな体制、および具体的な活動計画が承認された。

(2)漁師さんの出前授業

再編した保存会の新しい取り組みとして実現したのが「漁師さんの出前授業」である。子どもたちに鰊漁を知ってもらいたいという願いから4年生から6年生を対象に2回の特別授業を行った。
「繁栄していた当時の鰊漁」という授業では、鰊漁最盛期から漁師を続ける前石狩湾漁協組合長の中村東伍さんにお話をお聞きした。会場の浜益郷土資料館に展示してある当時の漁具や建網の模型を使いながら、春先の番屋の準備、漁の仕方、水揚げした鰊を釜ゆでして鰊粕を作る方法などを詳しく説明していただいた。また、当時の映像を見ながら「昔は網を引きながらみんなで沖揚げ音頭を唄っていたんだよ」「生鰊を買い付ける船がいっぱい来て水平線が見えないくらいだったよ」と、当時を懐かしみながら話してくださった。
「復活した現在の鰊漁」は、石狩湾漁協青年部長の藤巻信三さんによる授業だった。石狩市の漁獲高の推移から鰊が復活してきたことを示し、羽幌で行われている栽培漁業による稚魚育成や藤巻さんが実際に漁をしている様子を映像で紹介した。その後、実際の網を使い、網目を大きくして小さな鰊をとらない資源保護など、現在の鰊漁の工夫を教えていただいた。ロープの使い方の実演やクイズなども交えた楽しい内容で、子どもたちは漁業のすばらしさを感じることができた。

   

←中村さんの出前授業「繁栄していた時代の鰊漁」

↓藤巻さんの出前授業「現在の鰊漁」
 ニシンクイズにさかなクンも登場

  ・新聞記事

  ・マリンバンク広報記事

   
       

(3)地域指導者による練習

  これまで、子どもたちに対する指導は、学校の教員と開始当初から関わってきた元公務補野村賢治郎さんが行ってきたが、野村さんに続く地域の指導者を育成することも、新しい保存会の課題であった。
新しい指導者は指導班という体制の中で、野村さんから詳細を引き継ぐこととなった。指導班の班長は、元PTA会長で現在学校評議員の佐々木茂雄さんに依頼した。佐々木さんは地域の劇団として内外から評価の高い「浜益小劇場」の代表をされていて、文化活動の運営や指導に実績がある。また、スポーツ少年団の団長として、子どもたちはもとより保護者からの信頼がきわめて厚く、まさに適任である。佐々木さんを中心とした指導班が今年の練習を適切に運営して、今後につながる組織ができた。

   
  地域指導者の皆さん。    
       

6.おわりに

  浜益の教育は、明治11年の浜益教育所開設とともに始まり、その後住民の力で各集落に多いときで10校の学校が作られた。人口減にともない本校1校に統合された現在も地域から本当に大切にされている学校である。学校田での米作り、地域山岳会のサポートによる自然体験、図書ボランティアによる読み聞かせ、地区連盟によるスキー指導など地域人材による学校への支援はきわめて厚い。 
 沖揚げ音頭の再構築を行ったことにより、地域の大人たちが力を合わせて自分たちの取り組みを支えてくれる姿を見て、子どもたちは人と人の絆の大切さと、大人たちが故郷・浜益を思う強い思いを感じてくれた。また、漁師さんの出前授業を通して、地域の伝統に対する誇りや鰊漁の復活にかける漁業者の取り組みから将来への希望を見いだすことができた。
 さらに重要なのは、今年の取り組みを通して学んだことを生かし、子どもたち自身が考え行動してよりよい沖揚げ音頭の創造に取り組んだことである。 小さな芽ではあるが、地域文化の伝承者、創造者、発信者として、子どもたちが地域に貢献した事実は大きな可能性につながる。
地域からの支援に対する感謝の気持ちを持つことに加え、自分たちが地域活動を活性化する一員として参加した成功経験、さらにお年寄りをはじめとする地域住民から感謝される経験を持ったことで、子どもたちの郷土愛は一回り大きくなった。
 高校閉校に伴い、将来いったんは故郷を離れたとしても、「ヤーシヨイサー」「ホーラドッコイショ」というかけ声が、大人になった時も記憶として残り、故郷浜益の情景と人と人との結びつきが心のよりどころになってくれることを願っている。