道明寺東小校区と周辺の文化財

 多くの歴史遺産に恵まれた藤井寺市ですが、その中でも、特に道明寺東小学校区は多様な歴史的文化財が集中している
地域です。それらの歴史的文化財については、いくつかの特徴にまとめることができます。


1 国府遺跡
  まず一番にあげられるのは、
国史跡指定の国府(こう)遺跡です。 約2万年前の旧石器時代から、縄文、弥生、古墳時代
 へと続く複合遺跡で、さらに、飛鳥時代には古代寺院も造
られ、奈良時代には河内の国府が置かれたと推定されている遺
 跡群です。遺跡全体がどのくらいの広さなのかは、まだよくわかっていませんが、史跡指定を受けた区域は道明寺東小学
 校区のちょうど真ん中に位置しています。まさにこの地域を象徴する遺跡です。国府遺跡は、戦前から考古学研究にとっ
 て貴重な出土資料を提供し、戦後の我が国の旧石器時代の研究に大きな足跡を残す意義ある遺跡でもあります。


2 市野山古墳と陪冢群
  次に、地図で最も目立っている巨大な前方後円墳の市野山(いちのやま)古墳
その周りにある小古墳です。市野山古墳
 は宮内庁によって
允恭(いんぎょう)天皇陵として治定(じじょう)されています。もともとの大きさは、今よりもひとまわり大
 き
く、その名残があちこちに見られます。
  小古墳の多くは市野山古墳の
陪冢(ばいちょう)と考えられていますが地図にある小古墳で現存するのは3基だけで
 は姿を消してしまっています。消滅古墳と言われるもので、過去の調査資料や昔の写真でしか知ることができません。
  近年、発掘調査によって、畑などの下から過去に壊されたと思われる小古墳が発見される例がいくつも見られます。
 没古墳と言われるものです。今後も埋没古墳の発見はあると思われます。
  藤井寺市内では現在までに約90基の大小の古墳が確認されています。おとなりの羽曳野市と合わせると、130基近
 い数となります。この2市にまたがる古墳の集まりは、
古市(ふるいち)古墳群と呼ばれています。この中のかなりの数
 の古墳が道明寺東小学校区と周辺にかたまって存在したことになります。


3 古代寺院と河内国府
  1でも触れまし
たが、飛鳥時代から奈良時代にかけては、衣縫(いぬい)廃寺船橋廃寺古代寺院河内国府がこの地
 域に造られました。また、
日本書記』などに書かれている餌香市(えがのいち)という市が在った場所もこの辺りだとする
 説が有力です。これらが集中していたこの地は、多くの人々が行き交ってにぎわう場所となりました。
  国府の建物の位置を特定するような遺構などはまだ発見されていませんが、今までの研究・調査からこの辺りに国府が
 置かれたと推定されています。
  二つの古代寺院については、今までの発掘調査からおおよその位置が推定されています。特に、衣縫廃寺は塔の礎石が
 残っており、発掘調査の成果も合わせて大まかな伽藍の規模も推定されています。
  船橋廃寺の遺跡はずっと昔から集落や農地の下に埋没していたようです。その場所が江戸時代の大和川の付け替えで川
 底となり、後に川の増水で河床が削られて姿を現したことで、遺跡としての調査が始まりました。発掘調査は多くの地点
 にまたがって何度もおこなわれていますが、建物の礎石や多数の土器、古代瓦などが出土し、古代寺院跡と推定されまし
 た。この一帯の遺跡は船橋遺跡と名付けられましたが、その中心部は現在の北條町地区にあります。この遺跡群を河内国
 府の場所ではないかと推測している研究者もいます。また、餌香市が在ったとする説もあります。いずれにしても、この
 遺跡の全体像はまだよくわかっていません。


4 長尾街道と東高野街道
  古代寺院や国府が造られて人々の行き来が多くなるということは、そのための道路(街道)が必要となります。この地域
 には、古代からの主要街道であった長尾街道東高野街道が通っており
ちょうど国府遺跡のある辺りで交差していまし
 た。つまり、河内国府の近くに重要な交差点があったと考えられるのです。国の役所や大きな寺院の近くを2本の幹線道
 路が通り、なおかつ交差していたわけです。二つの街道とも、古代に造られた当初とはルートが変化している部分がある
 ようで、研究者によって推定ルートが異なる部分がいくつかあります。
  長尾街道は、江戸時代までのルートが比較的よく残っていてわかりやすい街道です。古代史料によれば古くは大津道
 言ったようで、その頃のルートは堺からまっすぐ東へ進んでいたと推定されていますが、そのはっきりしたルートやいつ
 頃から今のルートに変わったのかなど、諸説があっていまだによくわかりません。
  東高野街道は、京都から高野山に修行やお参りに行くために利用されたことからそう呼ばれてきました。河内長野市
 で海側から南下してくる西高野街道などと合流して高野山へ向かいます。この街道も旧道として残っている部分はわかり
 やすい道ですが、現在の国道旧170号に取り込まれている部分もかなりあります。 南下してきた街道から、旧大和川を渡
 る場所が、ちょうど道明寺東小学校区の東側方面に当たります。ところが、江戸時代の大和川の付け替えによってそのル
 ートが変わりました。そのため、それ以前の街道で使われなくなった部分があり、昔のルートは推定するしかない部分が
 あります。それが校区内の船橋町から国府地区へかけての部分なのです。現在、一般的に歴史マップなどで紹介されてい
 る街道のルートは、下の「道明寺東小学校区と周辺の文化財マップ」の近世推定路3のルートです。


5 大和川の付け替え
  4までで触れたように、江戸時代の18世紀初めには、
「大和川の付け替え」というこの地域にとっては大変大きな影
 響を与える出来事がありました。特に船橋村と北條村では多くの農地が河床として失われました。村の人々にとっては大
 事件と言ってよいでしょう。たくさんの村が連合して、何十年にも渡って付け替え反対の運動をしましたが、幕府の強い
 権力によって事業は決定され、川の付け替え工事がおこなわれました。
  船橋町が面する川の位置が、この工事で造られた川の切り替え部分に当たり、新大和川の起点となったのです。近年こ
 の起点場所となったことを記念する標柱が有志によって建てられました。また、正確な起点位置に当たる石川との合流点
 には、国土交通省によって距離標の標石が設置されています。


6 近鉄・道明寺線
  近代の歴史的文化財としては、この地域での鉄道建設の歴史を象徴する路線である近畿日本鉄道・道明寺線を挙げる
 ことができます。現在は短距離の支線として、たった2両で運行されている道明寺線ですが、実はこの路線には大変に深
 い歴史が秘められているのです。1898年(明治31年)にこの鉄道が開業したときは、今と違って大変重要な鉄道として誕生
 しているのです。当時の鉄道会社は河陽鉄道といいました。後に、別会社に変わったり社名を改名したり
さらには他の
 会社と合併をくり返して、現在の近畿日本鉄道になってきました。
  道明寺線は、数ある現在の近鉄全線の中で、最も歴史の古い路線であり、この地域にとっても記念すべき歴史を持つ鉄
 道路線なのです。


 このように、道明寺東小学校区と周辺地域は、歴史的文化財に恵まれています。しかも、歴史研究の上でも重要な手がか
りとなる遺跡の数々、たくさんの古墳、遺跡群と密接に関係する古代の街道(古道)、そして、歴史的大事業で造られた新大
和川、近代化の象徴であった鉄道建設の歴史と、どれを取っても興味深い歴史的文化財です。
 簡単な紹介ではありますが、それぞれのページをご覧いただくことで、道明寺東小学校区が支えられているこの地域につ
いて、少しでも知っていただければ幸いです。また、これらの文化財を知ることで、藤井寺市の特色や古市古墳群にも関心
を持っていただければと願っております。
道明寺東小学校区と周辺の文化財マップ
地図の中でポインター・アイコンの出る部分や名前をクリックするとリンクページやサイトが開きます
道明寺東小学校区と周辺の文化財マップ
土師の里遺跡 市野山古墳 消滅古墳 石川 大和川 大和川合流点 落堀川 長尾街道 東高野街道古代推定路 東高野街道近世1 船橋廃寺 船橋遺跡 大山咋神社 志貴縣主神社 道明寺天満宮 道明寺 潮音寺 蓮休寺 養源寺 国府遺跡 長尾街道 宝城寺 了信寺 宮の南塚古墳 国府八幡神社 黒田神社 衣縫塚古墳 東高野街道近世2 東高野街道近世3 衣縫廃寺 近畿日本鉄道道明寺線 東高野街道 国府遺跡 新大和橋 大和川付替起点標柱 鍋塚古墳 長池跡地
  市野山古墳(允恭天皇陵) 大和川    石川 国府遺跡 大山咋神社 養源寺   
  宮の南塚古墳 新大和橋 船橋遺跡 黒田神社 宝城寺  
  衣縫塚古墳 大和川付替起点標柱 船橋廃寺 志貴縣主神社 了信寺   
  鍋塚古墳 大和川合流点 衣縫廃寺 国府八幡神社 潮音寺  
  消滅古墳 落堀川 東高野街道 道明寺天満宮 蓮休寺   
  長池跡地 近畿日本鉄道・道明寺線 長尾街道 土師の里遺跡 道明寺  
 
埋蔵文化財包蔵地について
 道明寺東小学校区に関わる埋蔵文化財包蔵地としては、船橋遺跡国府遺跡林遺跡土師の里遺
があります。
 埋蔵文化財包蔵地は、公式の行政用語としては「周知の埋蔵文化財包蔵地」と言い、埋蔵文化財を
包蔵する土地として周知されている土地のことを表します(文化財保護法第93条)。これは、石器・土
器などの遺物や貝塚・古墳・住居跡などの遺跡が土中に埋もれている土地であって、そのことが地域社
会で認識されている土地のことです。この区域内で土木工事や建設工事をおこなう場合には、事前に届
け出て市教育委員会と協議することが義務づけられています。必要な場合には発掘調査がおこなわれる
ことになります。
 藤井寺市域の大部分が埋蔵文化財包蔵地に該当しており、市内では頻繁にどこかで発掘調査がおこな
われているような状況です。
 埋蔵文化財包蔵地としての国府遺跡は、国府台地のひとまわり外側までが範囲となっています
国府
遺跡の全体像はまだ明らかになっていませんが、国府台地上に展開していることはほぼ確実だと見られ
ます。一般に「国府遺跡」として紹介される場合には、国史跡として指定されている区域辺りを指すこ
とが普通です。
 船橋遺跡は、藤井寺市周辺の埋蔵文化財包蔵地の中では最も範囲の広い遺跡ですが、区域の中には柏
原市域の部分も含まれています。ここの場合も、一般に言う「船橋遺跡
は、船橋廃寺推定地を中心とす
る区域を指すのが普通です。
          空から見る道明寺東小学校区の様子    道明寺東小学校区図   HOME